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【新春対談】能の世界 大きな節目 観世清和さん×内田樹さん(2−1)

今年は能を大成した観阿弥の生誕680年、世阿弥生誕650年の節目の年。

 −−能の動きは静かに見えて、心拍数はものすごく激しいそうですね


 観世 たとえば唐織(からおり)(女役の豪華な能装束)を着た女性が身じろぎしないで座っている、静かな場面ほど内面の充実度が必要です。先代の家元(父親の二十五世宗家、観世左近)に、『井筒(いづつ)』(旅僧の夢に紀有常(きのありつね)の女(むすめ)が現れ、夫の在原業平(なりひら)をしのぶ)の稽古を受けていたとき、「おい、おまえ気が抜けているな」と言うのです。自分は必死に地謡(じうたい)の曲(クセ)を聞いていたつもりだった。目がうつろだと言うのです。充実感がない。みなぎるものがない。「もっと、おまえ発散するものがないのか」と言われたのです。


 『井筒』の曲といったらどこまでも静寂な−と、そればかり考えていた。いやそうじゃないんだよと。静かな所ほど発散するエネルギーが感じられていないと拮抗(きっこう)できない。それだけの長い曲を、謡も所作(しょさ)もなにもなしに座ってられない。おまえはどう考えるんだと言われた記憶があります。

 −−お家元は、お父さまの言葉が今、分かるということは


 観世 ございますね。もっと聞いておけばよかった。後悔のほうが多いですね。30〜40代の頃と違う演目をチャレンジするとき、父が弟子にこう言っていたと思い出す。元気なうちにたくさん聞いておけばよかった。芸は生き物でしょ。紙に書いても、伝わることは限られる。やはり生身のものを伝えてゆくのは大事なこと。

 −−お家元とご嫡男の三郎太(さぶろうた)さん(13)の間ではいかがですか


 観世 子供に稽古しているとき、父の言葉が出ることがあるのです。ふっと浮かんできた言葉が、実は先代がいっていた言葉ということがある。


 −−「初心忘るべからず」「秘すれば花」など実は世阿弥の言葉だというものがたくさんあります。改めて業績は


 観世 ただ芸ができるだけでなく知識、教養を備えていた。世阿弥の稚児時代の教育についての細かいものが残っておらず、「世阿弥は大天才」の一言で終わってしまうことが多いのですが。

【新春対談】観世清和さん×内田樹さん(2−2)

 −−伝統芸能、文化が持つ力についてお聞かせください


 観世 世阿弥のやさしさみたいなものをいつも感じながら稽古をし、舞台で演じています。世阿弥のやさしさというのは、非業の最期を遂げた人たちをもう一回、再生してよみがえらせ引き上げるもの。能が扱っているものは、根本はすごく素朴な世界を表していると思う。

 −−携帯電話でなんでもできる時代だからこそ大切なものがありますね


 観世 能は難しい言葉も使っているが、扱うテーマは人間の根本的な普遍的なテーマで、いつの時代にも変わらないことだと思う。だから時代を経て残ってきたともいえます。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20121127#1354028179
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20130102#1357135623