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コンクラーベ 新法王を選出 NHKニュース

システィーナ礼拝堂では、枢機卿団の長老が法王に選ばれた人に対し、「法王に選ばれたことを受諾するかどうか」、そして、「法王としてどのように名乗るか」を尋ねます。
続いて、新しい法王は、礼拝堂の奥にある「涙の部屋」と名付けられた3メートル四方ほどの部屋に1人で入り、誰が選ばれてもよいよう、あらかじめ3つのサイズが用意された法王の衣装を身にまといます。「涙の部屋」とは、この瞬間に新しい法王が自らの職責の重さに涙するとされたことから、つけられた名前だということです。
部屋から出てきた法王に対し、枢機卿団が改めて忠誠を誓う儀式が行われ、それに続いて、今回は新しい法王がシスティーナ礼拝堂に隣接する別の礼拝堂に移り、神に祈りを捧げる予定だということです。
このあと、枢機卿団の代表がサンピエトロ大聖堂の正面にあるバルコニーに出て、ラテン語で、新法王の誕生を告げるとともに、その名を明らかにします。それを受けて、新法王がバルコニーに姿を見せ、ラテン語で「都市、そして世界に」と述べて世界中のカトリック信者を祝福することになっています。

新法王はフランシスコ1世 NHKニュース

フランシスコ1世は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス出身の76歳。

ベルゴリオ枢機卿は聖職者としてのほとんどの期間をアルゼンチンで過ごし、1997年にブエノスアイレス大司教に就任したあと、2001年に枢機卿に任命されました。
前回のコンクラーベでも有力な候補として名前が挙がり、前の法王のベネディクト16世の次に多くの票を獲得したとも伝えられています。
人工中絶や同性愛などには反対の立場を示しているものの、最も保守的とされる南米のカトリック教会を穏健的な思想へと導いていると評価されてきました。

新しくローマ法王となったフランシスコ1世の名前は、平和や摂理の象徴とされた12世紀の現在のイタリアの聖フランチェスコに由来します。
裕福な家に生まれた聖フランチェスコは、富を捨て修道会の1つフランシスコ会を創設したことで知られ、神から教会の再建を託されたとも伝えられています。

コンクラーベはこの100年間で、今回も含め9回行われています。
このうち、最も早く法王が決まったのは、1939年のピウス12世で、2日目に3回目の投票で選ばれました。続いて、1978年のヨハネ・パウロ1世と、前回、2005年のベネディクト16世が、いずれも2日目に4回目の投票で選ばれました。
2日目に5回目の投票で新しい法王が決まった今回のコンクラーベは、それに続く早さです。
一方、この100年間で最も時間がかかったのは、1922年にピウス11世が選ばれたコンクラーベで、5日目に14回目の投票で決まりました。

新ローマ法王にアルゼンチンのベルゴリオ枢機卿 法王名はフランチェスコ1世

 カトリック教会は聖職者による未成年者への性的虐待事件やバチカン法王庁)の内部文書流出事件で揺れており、新法王は重い課題を抱えてのスタートとなる。今回は、これまで法王を最も多く輩出しているイタリアから選ばれるのか、最大のカトリック人口を誇る中南米など欧州以外から選ばれるのか注目されていた。

バチカン:新法王にフランシスコ1世 初の中南米出身

 欧州以外の地域から法王が誕生するのは第90代法王のシリア人グレゴリウス3世(在位731〜741年)以来1272年ぶり。

 バチカンが聖職者による性的虐待や不透明な資金運用などのスキャンダルで揺れる中、コンクラーベではバチカン刷新を目指す改革派の法王が誕生するか、体制の現状維持を望む伝統派が選ばれるかが注目された。穏健派とされるフランシスコ1世が両陣営の支持を取り付けた格好だ。

新ローマ法王にアルゼンチンの枢機卿、初の中南米出身者

イエズス会初のローマ法王となる。

新法王誕生 南米の母国が喜びに沸く NHKニュース

コンクラーベ」が行われていたバチカンでは、日本時間の14日午前3時すぎ、礼拝堂の煙突から法王が選出されたことを示す白い煙が上がり、アルゼンチン出身のホルヘ・ベルゴリオ枢機卿が第266代のローマ法王に選ばれ、フランシスコ1世と名乗ると発表されました。

新法王選出:「脱欧州」の一歩 バチカン、改革姿勢示す

 フランシスコ1世は法王選挙会議(コンクラーベ)直前までの有力候補に入っておらず、法王選出は「大きな驚き」(元法王庁職員)を持って受け止められた。有力候補とされていたイタリアのスコラ・ミラノ大司教(71)、ブラジルのシェレル・サンパウロ大司教(63)らの間で枢機卿(115人)の票が割れた結果、白羽の矢が立ったとみられる。

 初の中南米出身法王が誕生した背景には、カトリック教徒人口の点からの欧州の地盤沈下中南米の隆盛がある。本家・欧州で若者のキリスト教離れが進む中、バチカン関係者の間では、世界約12億人のカトリック教徒の4割が暮らす中南米からの法王誕生は「時間の問題」と受け止められていた。


 それを阻止していたのは、法王庁に脈々と流れてきた欧州中心主義の伝統だ。今回のコンクラーベでも参加した枢機卿115人のうち過半数の60人が欧州出身者で、カトリック教徒の地理的分布とは釣り合わない欧州偏重色が残っていた。


 だが、今回のコンクラーベは、秘密文書漏えい事件(バチリークス)で法王庁が揺れる中で実施された。ベネディクト16世が退位間際、バチカン内紛を戒めたことが間接的に新法王選出に影響を及ぼした可能性がある。組織や権限の現状維持を望む一派が守勢に立たされ、バチカン改革を求める米国枢機卿団の声が通りやすくなったためだ。

新法王 統治能力の高さに定評 NHKニュース

法王庁立グレゴリアン大学で教会法を専門とし、みずからもカトリックの司祭である菅原裕二教授は、13日、NHKの取材に対し、本命候補が不在と言われたコンクラーベだが、かなり早く終わったという印象だと述べました。
そのうえで、新しい法王に選ばれたフランシスコ1世について、「アルゼンチンで統治能力の高さに定評がある一方で、バチカンで勤めた経験がなく、しがらみがないことから、改革の必要性が指摘されている法王庁を治めていくのにふさわしいと評価された」という見方を示しました。
また、中南米から初めて法王が誕生したことについて、菅原教授は「これまでにない法王名を名乗るなど新しさを打ち出す一方、ヨーロッパにルーツをもつ人物でもあり、バランスのとれた人選ではないか」と述べました。
そのうえで、「法王名の由来であるアッシジの聖フランチェスコは、改革をもたらし貧しい人とともにある聖人として崇敬されていることから、新法王はこうした路線を歩むというメッセージを込めたのではないか」という見方を示しました。

新ローマ法王 改革へ期待の声 NHKニュース
ローマにエコノミークラスでやってきた新法王 移動はバス、電車と驚きの「質素生活」
中南米から初選出の新ローマ法王、サッカー好きの庶民派

神学的には保守派であるとともに、地元ブエノスアイレスの一般社会の中で暮らす庶民派ともされる。

アルゼンチンの中流階級の出身。7人家族で、イタリア移民の父親は鉄道会社の労働者だった。

【ローマ法王選出】早くも“庶民派”披露

 新ローマ法王フランシスコ1世は選出から一夜明けた14日午前、ローマ市内のサンタマリアマジョーレ大聖堂を訪れ、聖母マリア祈りをささげた。

法王は訪問に際して大聖堂を一般に開放するよう側近らに指示。「私は1人の巡礼者であり、他の巡礼者たちの中で祈りたい」と希望したが、警備上の理由で聞き入れられなかった。

 また、13日夜にサンピエトロ大聖堂のバルコニーで信者らにあいさつした際は、儀式用の赤の肩マントや金の十字架の着用を拒否。「(マントは)あなたが着なさい。私には昔から使っている鉄製の十字架があります」と述べ、法王庁儀典長を困らせた。宿舎に戻るのも専用車ではなく、他の枢機卿と共にマイクロバスに乗ったという。

新ローマ法王:「フランシスコ」謙虚な人柄、名に反映

 イタリア人移民の両親のもと、5人きょうだいの1人として1936年にブエノスアイレスで生まれた。父は鉄道員、母は主婦という中流家庭。若い頃に肺を患い、片肺を摘出している。


 布教と清貧を旨とするイエズス会に21歳で入会した。01年に枢機卿になった後も専用の邸宅に引っ越さず、小さなアパート暮らしを続けた。生活の足にはバスや地下鉄といった公共交通機関を使い、食事も自炊するなど質素な生活ぶりだった。


 司祭叙階は32歳で、聖職者としては「遅咲き」に属する。だが、持ち前の謙虚さで周囲の支持を集め、4年後にはイエズス会のアルゼンチン管区長に選出された。毎週日曜にはブエノスアイレスの貧民街でミサを開いた。バチカンの聖職者が着用する華美な衣装を嫌い、地味な色づかいの服装を好んだ。報道陣の前で多くを語ろうとせず、できるだけ目立たぬよう努めていた。

 法王名は13世紀初めにフランシスコ修道会を創立したイタリア・アッシジ聖フランシスコにちなむ。イエズス会とは異なる会派を象徴する名前で、フランシスコ会の神父は「この名前を選んだのは(聖フランシスコが体現している)謙遜と素朴さの表れだ」と解説する。

 2位となった05年の前回法王選挙会議(コンクラーベ)では、自分を支持しようとした枢機卿に対して、ベネディクト16世に投票するよう懇願したと言われている。

 未婚の母やエイズ患者に手を差し伸べて社会正義の象徴となる一方で、妊娠中絶や避妊に反対する保守的な立場をとる。アルゼンチン政府が10年に同性愛結婚を合法化した時は「神の計画を壊す試み」と批判した。アルゼンチンの歴史家エルサ・ブルソネ氏(58)は「(保守と改革の)両面性を持つ」と分析し、「バチカンがどちらの側面をみて選んだのか分からないが、私は改革を推進する側面を支持したい」と話した。

新ローマ法王:団結を演出 「穏健派」で対立に終止符

法王庁を刷新したい改革派と、組織の現状維持を望む伝統派の双方に受け入れ可能な穏健派を選び、対立にとりあえず終止符を打った側面が強い。

初の中南米出身法王の誕生で新風が吹き込まれるが、長い歴史を持つ法王庁の方向転換は容易ではない。

 フランシスコ1世という法王名が由来する中世のイタリア・アッシジの聖人フランシスコは「荒れ果てた私の家を修理してほしい」とのイエス・キリストの声を聞いたと伝えられている。このため、教会関係者の間では「名前はバチカンを内部から変えようという新法王の決意の表れ」と受け止められている。

 バチカンから遠いアルゼンチンで教会活動に従事してきたフランシスコ1世は法王庁派ではなく改革派寄り。イタリア紙レプブリカはベルトーネ法王庁国務長官(78)ら法王庁を牛耳ってきた「イタリア人枢機卿の敗北」と分析した。


 ただし、フランシスコ1世は教義解釈の点では家族や生命の価値観を重視する立場を取っており、10年にアルゼンチン国会が同性婚を認める法案を可決した際には「神の計画を破壊しようという試みだ」と非難。コンクラーベでは保守派枢機卿の支持も取り付けたとみられる。

ローマ教皇?法王?どっちが正しい 教会は「教皇と呼んでください!」

ちなみに教皇にしても法王にしても、日本などでしか使われていない一種の「意訳」だ。正式には、以下のような長い肩書きを名乗っている。


「ローマの司教、イエス・キリストの代理者、使徒たちのかしらの後継者、普遍教会の最高司教、イタリア首座司教、ローマ管区首都大司教バチカン市国元首、神のしもべたちのしもべ」

一般には父を意味する「パパ(Papa)」と呼ばれ、日本でも戦国〜江戸初期には、神父を「パードレ」と呼んだ要領で、西洋式に「パアパ(パッパ)」としていた(どちりな・きりしたんなど)。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20130115#1358258444(聖フランチェスコ
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20130121#1358781241フランシスコ・ザビエルイエズス会
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20130310#1362924684(我に三寶有り)