生活習慣の歪みを手軽に治す方法は?
- 作者: 矢上裕
- 出版社/メーカー: 新星出版社
- 発売日: 2005/03/01
- メディア: 単行本
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趙州問う「如何なるか是道」
南泉曰く「平常心是道」
道元禅師の言われる「ただわが身も放ち忘れて仏のいへになげいれて、仏の方より
行われ、是に従い行くとき ちからも入れずこころもついやさずして 生死を離れてほとけとなる」とある。要は仏のいえ、大自然の運行、自然法爾のままに、一切を御仏にお任せするその心そのままが平常心なのである。
南泉禅師は「道は考えてわかるようなものではない、しかし、わからないといってしまうこともできない。考えてわかるというものであれば妄想になってしまう、わからないとすれば意味のないことになってしまう。」と答えた。
さらに、「理解できるとか、理解できないとかという分別を離れてみると、自ずからそこに道が現れる。あたかも晴れて澄みわたっている秋空のようなもので、分別を入れる余地がまったくない」と答えたえたので、趙州はその答えを聞いて悟ったということです。
これを四季の移りゆくことになぞらえて人の生き方を無門和尚は次の詩であらわされた。
春に百花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり、
若し閑事の心頭に掛かる無くんば、便ち是れ人間の好時節 [無門関第十九則]
春には花が咲き、秋には明月が天にかがやく、暑い夏には涼しい風が吹き、冬には雪がさえざえとしている。春夏秋冬いつでも好時節である。「閑事の心頭に挂る無き」とは、晴れわたった大空のような本来清浄な心境をいう。
自分自身のまわりをあらためて見直し、歩むべき真実の「道」を見出すようにしたいものです。
歩むべき人間の道からはずれないことです。求道とはどの道であっても容易なものではない。いずれにしても、日常の生活をほかにして人の道はない。自分の日常生活を怠惰に過ごして無駄にせず、当たり前のことを当たり前に行う心を大切にて、道を求め続けることです。
南泉、因みに趙州問う、如何なるか是れ道。
泉云く、平常心是れ道。
州云く、環って趣向すべきや否や。
泉云く、向かわんと擬すれば即ち乖く。
州云く、擬せずんば争でか是れ道なるを知らん。
泉云く、道は知にも属せず、知は是れ妄覚、不知は是れ無記、若し真に不擬の道に達せば、猶大虚の廓然として洞豁なるが如し、豈に強いて是非す可けんや。
州云く、言下に頓悟す。
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りょうとう せつだんすれば、いっけん てんによりて すさまじ。
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