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【適菜収の賢者に学ぶ】本を遅く読む技術 - MSN産経ニュース

 本読みの達人である作家のウンベルト・エーコと脚本家のジャン=クロード・カリエールが、書物と印刷技術の歴史について語り合っている(『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』)。古代ローマでは図書館のそばに巻物状の書物を売る店があったという。収集家が書店に行き、たとえばウェルギリウスの本を注文すると、書店主は「2週間後にもう一度来てくれ」と客に言い、書物を手で複写する。

 印象的だったのは、18世紀イタリアにおける最も偉大な思想家としてジャンバッティスタ・ヴィーコ(1668〜1744年)を挙げていたことだ。

ヴィーコは古代人と現代人を比較し、学問の正当なあり方を探究した。対象は数学、医学、宗教と幅広いが、そのひとつに書物と印刷技術に関する思想がある。


 印刷技術の発達によって、あらゆる書物が手軽に手に入るようになった。


 「しかし、あまりの豊富さと安価が、よくあるように、われわれを勤勉でなくしてしまってはいないか。またわれわれが、見栄えがする豪勢な食事を目の前にして通常の活力がでる栄養素を遠ざけるよう命じ、よく料理されてはいるが滋養になることの少ないものを大食する食客に似てしまっているのではないか、と私は恐れている」(『学問の方法』)


 書物を手で複写していた時代には、筆写者たちはやりがいのある仕事をしようとして、有能な著者を選んできた。一方、筆写の過程で粗悪な著者は関心をもたれなくなる。時の流れにより、審判が下されるわけだ。


また、それらは高価であったため、研究者たちは自らの手で書き写すことを余儀なくされた。それにより知が鍛えられたとヴィーコは指摘する。


 「われわれは書くもの、それもまさに攪乱(かくらん)されず、乱されず、急がず、とぎれとぎれにならず、穏やかに、終始整然と書くものについては、それだけいっそう正確に思索するからである」(同前)


 偉大なものとは長い時間をかけて交流しなければならない。著者の知識を手に入れるだけではなく、著者と同一の視点に立つこと、価値判断の基準を受け継ぐことが文化を維持するのである。


 もちろん時代に迎合した書物が高く評価されることもある。


 「それゆえ、われわれは数世紀の判断をもとにして読書を行なうべきであり、われわれの学問方法をそういった庇護(ひご)のもとで規律づけるべきである。まず古代人を読もう。というのは、彼らは信用と勤勉と権威によってすでに試験されているからである」(同前)

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