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アブハジアが五輪期間中の査証簡素化 背後にロシア? グルジア反発 - MSN産経ニュース

グルジアから一方的に独立宣言したアブハジア自治共和国は12日までに、ロシア南部ソチでの冬季五輪開催中、外国人がロシアからアブハジアへ入る手続きを簡素化し、「両国国境」で査証を発給する措置を講じた。アブハジアの通信社が伝えた。


 グルジア外務省は12日の声明で批判。アブハジアと、背後にいるとみられるロシアに強く反発した。


 アブハジアはソチに近く、五輪の観客を誘致して観光振興を図るとともに、「独立」への認知度を上げる狙い。簡素化手続きは日帰り入域のみ。グルジア外務省は、ロシアからアブハジアに入る外国人はグルジア刑事罰の対象になりうると警告した。


 2008年のグルジアとロシアの軍事衝突後、ロシアはアブハジア南オセチアの独立を承認、両地域はロシアの影響下にある。

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グルジア - Wikipedia

この紛争によってサアカシュヴィリの権力は強まると思われたが、逆に多くの戦死者を出して批判され後に紛争をグルジアから仕掛けた」と発言

ロシアにとってグルジアカスピ海原油パイプラインの存在等、中央アジア原油を確保する上で密接な関わりがあり、南の玄関口である黒海へ連なる要衝に位置する重要な国家と位置づけている。またチェチェンとの対立を抱えるロシアにとって、チェチェンの周辺国の一角を成すグルジアと手を結ぶ事は、ロシア南部における安全保障の観点からも非常に有効と見ている。しかしグルジアの反ロシア路線は当然ながら両国間の緊張関係を生む事になり、両国関係は急速に悪化している。ソ連時代以降、ロシアとグルジアは密接な関係にあり、多くのグルジア国民もロシアに在住しているが、両国の関係が悪化したため、ロシアから強制退去になったり、親族間で引き裂かれるなど様々な問題が起きている。

グルジア国内の民族問題も両国の対立に拍車を掛けている。コーカサス地方は古くから無数の民族が入り乱れる不安定な地域であり、近代に成立したに過ぎないグルジア人という民族意識は未だ不安定で、グルジア国民の間でも地方対立が絶えない状況下にある。

2006年9月27日・28日には、グルジア国内に駐在していたロシア軍将校6名をグルジア軍がスパイ容疑で拘束する事態が発生、ロシア政府が抗議としてグルジアに対するビザ発給停止や国境線の封鎖等の報復を取る事態が発生している。更に2008年にはグルジア軍が南オセチアに展開するロシア軍主体の停戦監視部隊に攻撃を仕掛け、兵器を強奪する行為を起こした。グルジア政府は「ロシア軍の停戦部隊は独立派を支援しており公平ではなく、EU部隊との交代を行うべき」と発言しているが、ロシア軍駐留に関しては当のEU側も賛同する意向を示している。

2008年8月7日、グルジア政府は南オセチア自治政府に対して自治権を剥奪すると共に軍部隊を侵攻させた。しかし南オセチア側に立って参戦したロシア軍の前に、軍拡を進めていたグルジア軍は一方的な敗北を喫して敗退し、8月15日に停戦が決定した。ロシア政府は戦いに従軍した兵士の内、5名に英雄勲章を授与した。
停戦後、ロシアはグルジア国内に駐屯しつつ、議会でアブハジア南オセチアの独立を承認する決議案を採択、メドベージェフ大統領がこれを正式に了承した。グルジア側はこれに抗議する形で2008年8月28日、議会にてロシアとの外交関係を断絶するよう求める決議を全会一致で採択した。8月29日、バシャゼ外務次官はロシアのアブハジア自治共和国南オセチア自治州の独立承認に対しロシアとの外交関係を断絶すると発表した。

アブハジア - Wikipedia

ロシア革命後、アブハジアボリシェヴィキ政権から文化的・政治的な自治を与えられた。1931年にはスターリンによってグルジアソビエト共和国に属する自治共和国とされた。実際には自治はほとんど機能せず、グルジアが強く進められた。アブハズ語が禁止されるとともにグルジア語が公用語として強制され、多くのアブハズ人が粛清で命を落とした。グルジア人のアブハジアへの移住も奨励された。スターリンの死後になって、アブハジア自治は回復された。

1980年代末期にソビエト連邦の結束が崩れ始めると、グルジアの独立をめぐってアブハズ人とグルジア人の間に緊張が生まれた。すでに1989年には、独立グルジアへのアブハジアの統合が、グルジア民族主義者たちによって声高に主張されていた。多くのアブハズ人たちは、新たな「グルジア化」につながるとの考えからこれに反対し、その代わりに、独立の共和国としてのアブハジアの建設を考え始めた。

1992年2月21日、グルジアの軍事評議会は、ソビエト連邦期の憲法を廃止し、1921年に制定されたグルジア民主共和国の憲法を復活させることを宣言。これを、アブハズ人たちは、自治権の廃止ととらえた。これに応えて、1992年7月23日にはアブハジア自治政府が独立を宣言したが、国際的な認知は得られなかった。グルジア政府は3000人の部隊をアブハジアに送り、スフミにおいて、アブハジアの分離主義武装グループとの間で激しい戦闘が起こった。1週間の戦闘で双方に多くの犠牲者を出した末、グルジア政府はアブハジア自治政府を廃した。

アブハジア側の敗北の後、北コーカサス地方の諸共和国からやってきた義勇軍アブハジアの分離主義グループに合流し、再びグルジア政府軍との交戦が始まった。1992年9月の反乱軍は攻勢によって、グルジア軍は劣勢に立った。シェワルナゼ政権は、アブハジアの分離主義者に対して密かに軍事的な支援を行っているとしてロシアを非難した。

1992年から1993年にかけて、過激派指導者シャミル・バサエフアブハジア紛争に武装勢力チェチェン大隊」を率いて介入し、義勇軍を称してアブハジア独立を阻止する立場のグルジア政府軍と戦った。裏には、ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)の工作があったとされ、バサエフ麾下の武装勢力は、GRUによって直接訓練を受け、アブハジアに介入するように指示されたという。1992年末には、反乱軍がスフミ以西のアブハジアの大部分を掌握した。「民族浄化」が双方に起こり、この段階で約3000人が殺されたとされる。

1993年7月、アブハジア軍は、スフミを管理していたグルジア軍に対する攻撃に出た。町は包囲され、シェワルナゼも町中に幽閉される事態となった。7月末に停戦合意が成ったが、9月半ばにアブハジア軍が攻撃を再開したことで停戦は破られた。10日間の激しい戦闘を経て、1993年9月27日にスフミはアブハジア軍の手に落ちた。新たに大統領に指名されて間もないシェワルナゼはこのとき、何事が起ころうともスフミに留まると宣言していたが、滞在していたホテルが狙撃手によって攻撃され、ロシア海軍に助けられてスフミから脱出した。1993年10月、国連安保理アブハジアの軍事行動、民族浄化を非難。

折りしもサメグレロ地方で高まっていたズヴィアド・ガムサフルディア前大統領の支持者たちの騒乱に乗じて、アブハジア軍はアブハジアの大部分を手中に収めた。ここに至るまでに、ほぼすべての非アブハズ人の住民が陸路や海路で脱出し、その過程で約1万人が命を落としたと考えられている。25万人から30万人ほどの難民が発生した。

1994年5月15日に停戦合意が成立し、国際連合の平和維持軍が停戦の監視に当たっている。以後、戦闘は起こっていないが、その代わり、繰り返し行われている交渉による事態の大きな進展もない。グルジアの難民問題は深刻である。

アブハジア政府はグルジア政府の承認がないまま、1994年11月4日に新しい憲法を採択し、主権を宣言した。また、1996年11月23日には選挙が行われ、2004年10月にも再び大統領選挙が行われた。

2008年8月8日、アブハジアと同じくグルジアからの分離を求めて事実上独立状態にある南オセチア自治州グルジア軍が侵攻。これに対してロシア軍がロシア人の保護を名目に同自治州に侵攻し、グルジアと戦争状態に突入した。これと呼応してロシア軍とアブハジア軍が、アブハジアの一部であるコドリ渓谷を実効支配するグルジア軍を攻撃し、戦争がアブハジアにまで拡大した。結果、グルジア軍はコドリ渓谷から駆逐された。

2008年2月17日のコソボ独立宣言や南オセチア紛争を受け、ロシアなど独立国家共同体(CIS)、国際連合に対し、近くグルジアからの独立承認を求める方針を明らかにしたと報道された。8月20日アブハジア議会はロシアに対する独立承認要請採択を承認した。8月26日、ロシアのメドヴェージェフ大統領が南オセチアと共にアブハジアグルジアからの独立を認める大統領令に署名したことで、ロシアにグルジアの領土保全の意思がないことが明らかになった。コーカサス研究の廣瀬陽子によれば、アブハジアはロシアによるロシア化が進められていると指摘されている。