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公弁法親王 - Wikipedia

公辨法親王が年賀のため綱吉に謁すると、綱吉は雑談の中で赤穂浪士の処断に苦慮していることを話題にした。綱吉はいったんは切腹を命ずる決裁を下していたが、浪士の命を惜しむ気持ちを捨てきれなかった。しかし将軍として彼らを許せば、かつて浅野長矩にだけ切腹をさせた自分の裁断は片手落ちであったと認めることになってしまい、将軍権力に傷が入ることが避けられなかった。そこで公辨法親王から助命があったということにできれば、あくまで皇族からの要請であるという形にできるので、それに基づいての赦免ならば将軍権力にも傷が入らないということを期待していたようである。
また公辨法親王自身も浪士の討ち入りを義挙ととらえており、同年正月5日には浪士を褒める和歌も詠んでいたが、この時は軽く相づちを打つだけで受け流し浪士の助命を切り出すことはなかったという。綱吉はやむなく2月4日(3月20日)に処断を浪士預かりの諸藩に通達し、浪士は同日中に切腹した。
後に浪士の助命を願わなかった理由を問われた公辨法親王は「本懐を遂げた浪士を生き永らえさせて世俗の塵に汚すよりも、切腹させることによって尽忠の志を後世に残すべきである」と答えたといわれる。

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