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法然、親鸞の師弟関係記述は「不適切」 浄土宗指摘、高校教科書調査へ - 産経WEST

 文部科学省によると、平成26年度に使われている高校倫理の教科書は6社7冊。このうち6冊は、親鸞が師匠である法然の教えを「徹底」または「発展」させたと解説している。


 こうした表現に対し、浄土宗の一部僧侶らが「法然は不徹底で教えが未完成と受け取れる」と批判。「高校生に先入観を植え付け、将来の信仰にも影響を与えかねない」として、宗派に対応を求めていた。

 一方、親鸞を宗祖とする浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺)は「宗教の知識と意義については公平に教育する必要があるが、ただちに不適当な記述とは思わない」と指摘。


 真宗大谷派(本山・東本願寺)も、親鸞法然の教えを「自己に徹底させた」と解釈できる記述で「不適当とはいえない」とし、発行元が訂正する場合は「学界などの見識を踏まえて総合的に検討されるべきだ」と注文をつけた。

 第一学習社は、25年以降一部の研究者から同様の指摘があったことを理由に、すでに文部科学省に訂正申請を行ったことを明らかにした。申請が認められれば27年度の教科書から記述は変わるという。


 実教出版は「徹底という言葉は、法然に対する評価を意味しない。教えの価値をおとしめる意図は全くない」と主張する一方、「次回改訂時などに修正を検討する」と明言。山川出版社は「専門の研究者を交え、誤解を招かないよう改善したい」、数研出版は「浄土宗から話があれば対応を検討する」としている。


 これに対し、東京書籍は「法然が未完成で不徹底であるとの価値認識は決してない」とした上で「思想の展開を捉えた表現の仕方であり、批判は当たらない」と反論。


 同じ教科書で「ソクラテスの弟子プラトンは、師の思想を引きつぎつつ、その理想主義的な傾向をさらに徹底して考えた」と記述していることから「法然親鸞の記述も同様の表現に当たる」と説明している。


 清水書院産経新聞の取材申請に「回答は差し控えたい」とした。

浄土宗 - Wikipedia
浄土真宗 - Wikipedia
8月30日「聖道門と浄土門」:浄土宗

中国の道綽禅師という方は、仏教を聖道門(さとりの仏教)と浄土門(救いの仏教)の二つに分類され、その上で浄土門に帰するべきであると説かれました。

判りやすくいえば、聖道門=自力の教えであり、浄土門=他力の教えです。

「自分で修行して悟れない人はどうすれば良いのか。それが法然上人が浄土宗を開宗した理由です」

阿弥陀さまは、一人も漏らさず救済するために、四十八の願を立てられ、極楽浄土を構えられたのです。法然上人は、正しくそのことを私達にお伝えくださったのです。

浄土真宗の起こりと親鸞聖人

親鸞聖人が「浄土真宗」(単に「真宗」)といわれていたのは、その師の法然源空)上人からさずかった浄土の教えをさしていました。親鸞聖人自身、自分はひとりの弟子ももたない、といわれていたほどで、教団をつくる意志がありませんでしたから、浄土真宗が宗名となったのは、のちのことになります。

念仏の教えは時の権力の弾圧を受け、法然上人は土佐(実際は讃岐〔香川県〕)へ、親鸞聖人は越後(新潟県)へ流されました。のちに許されてから関東に移り、約二十年の間教化活動に励まれました。そこで、多くの人々とも語らいながら、念仏の信仰をいっそう深めていかれたのです。そして、六十二、三歳の頃、京都にもどられ、著述に専念し、九十歳で亡くなりました。それまで教えを受けた子孫や門弟たちの努力によって、聖人の念仏の教えは次第にひろまっていき、親鸞聖人は宗祖と仰がれるに至ったのです。

『白隠禅師法語全集〈第9冊〉遠羅天釜―上・中・下・続集』
P133

念仏と公案とどちらが優れているかという問いに答える書

P447

近代デジタルライブラリー - 遠羅天釜 : 附・夜船閑話
コマ番号 44

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141123#1416739002