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信仰義認によるアリストテレスの追放 Kusukawa, Transformation, ch. 2 #1 - オシテオサレテ

 ルターの右腕フィリップ・メランヒトンが、いかにルター派の教えに適合するかたちで自然哲学を組み換えていったかを論じた基本的研究書である。


 信仰義認論を唱えるルターは、この教えを既存の教会はのべつたえそこなっていると考えた。ここから従来の神学教育と、それと密接に結びついたその他の大学教育制度が強く批判される。

「スコラ哲学に反対する討論」では、善き行いにより義とされるという教えを攻撃し、この教えを支持する書物であるアリストテレス倫理学書は「恩寵の最悪の敵」であると論じた。ルターにとって唯一の権威は聖書であるべきであった。ここから聖書を読むための言語の訓練には価値が置かれることになった。

ルターによれば、「トマスは多くの異端的なことを書き、アリストテレスの支配をつくりだし、神より来たる教えを破壊してきた」。

アリストテレスの『自然学』のうちには自然世界についての本当の知識はなにひとつない。形而上学にしても霊魂に関する書物にしても同じ水準である。彼[メランヒトン]の知性をこのような狂気の泥沼に溺れさせておくべきではない」。

Kuni Sakamoto

「愚かにも、よい行いによって義となり、自由となり、救われ、キリスト者となろうと考えるならば、すべてのものと一緒に信仰をも失ってしまうであろう」。 「ルター『キリスト者の自由』」 http://d.hatena.ne.jp/nikubeta/20111019/p1

ルター『キリスト者の自由』 - オシテオサレテ

ルターによるとキリスト者誰からも自由であると同時に、すべての者に対する奉仕者である。

 しかしそうすると、信仰さえあれば何をしてもいいのか、という考えが当然出てきます。

というよりも信仰が真実であるならば、このような隣人に対する真実の愛が溢れ出るはずであるとされます。

信仰義認 - Wikipedia

信仰のみによる義認は、ルター神学の中軸をなす教理である。ルターは16世紀初頭当時のカトリック教会の腐敗を、行為義認(善行によって神は人を義とする)説に由来するものと考え、これに対して、人は善行ではなく信仰によってのみ義とされるとパウロ書簡によって説いた。ルターの贖宥状批判はこの説に基づいている。

ルターはデジデリウス・エラスムスの『自由意志論』に反駁する書『奴隷意志論』においては、信仰義認に対して、自由意志による善行から救いが得られるというカトリック教会の説を否定し、人は最初の人アダムの堕罪後、神に向かう自由意志をもたないため、そもそも善行を行うことが出来ないと説いた。

ルターの『奴隷意志論』の堕落し腐敗した人間が罪を犯すことしか出来ないという理解からすれば、真に善行といいうるのは、自分が神の救済を受けたいというようなレベルをすら超えて純粋な愛からなされうる行為のみである。そのような行為は、神の恩寵のうちにのみ可能であろう。そのとき善行は義認の原因ではなく結果としてのみ可能であり、「善行に拠る義認」という事態は存立し得ない。すなわちルターが著した「善きわざについて」において、信仰はその果実として善行を必ず産む、としている。

Kuni Sakamoto

2017年は宗教改革開始から500周年。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150119#1421663658
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http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150118#1421578480
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150118#1421578485
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150105#1420454782
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140819#1408446629
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140205#1391597209


Amazon.co.jp: 神学の思考: キリスト教とは何かの 中西良太 / Ryota Nakanishi "Amazon Top #500 Reviewer 2015, 2014, 2013です。 憲法、消費税、TPP、基地問題、原発、労働問題、マスゴミと前近代的司法が日本の最重要問題です!"さんのレビュー

佐藤さんは、結論から言うとキリスト教の本質を救済宗教であることと断言しています。

佐藤さん:…イエス・キリストが救世主であることを受け入れることによって、我々一人一人が救われたと確信できる事がキリスト教の本質… (P.3)