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文学部で学んだこと――100年先の世界のために―― | 京都 山の学校|新しい学びの場

私は英文科四回生の秋、思い切って西洋古典文学に専攻を変える決意をした。岡道男先生(当時の主任教授)のおられた研究室は、今はなき煉瓦造りの旧館二階にあった。専攻変更のお願いをするため、おそるおそる先生の部屋の扉をノックすると、万巻の書物がそびえ立つように見えた。先生は私の志願理由を頷きながらお聞きになり、ご自身も独文出身であると打ち明けられた。

先生は書庫から両手でないともてないような大型の辞書や注釈書を机の上に運んでこられ、ギリシア語、ラテン語それぞれの単語の調べ方、注釈書の使い方を教えて下さった。

驚いたのはその先で、先生はもう一度最初から原文をご自身の言葉で訳していかれたのである。重要な箇所については「ここは(学問上)問題の箇所で、後で説明します」とコメントされ、そのままどんどん先を訳していかれた。まるで日本語の訳を朗読されているかのように。こうして二度にわたる原文の訳読が終了すると、今度は細かな字でびっしりと書き込まれた研究ノートのコピーが配布された。そこには、解釈上の争点が文献案内とともに整理されていた。先生はこのノートに即して従来の学説を整理され、あわせてご自身の見解を開陳していかれるのだった。

その後年月が流れ、大学院の修士課程、博士課程と進学する中、私の理想は岡先生のように流麗に原文を訳し、先生の流儀で研究ノートを作り、論文を発表することであった。すなわち、テキストの精読と研究史の精査からにじみ出てくる自分のオリジナルな解釈の萌芽を大切に育て、論文という花を咲かせること。しゃにむに勉強し、語学の問題以上に研究の壁に何度もぶつかったとき、私は先生の論文をどれだけ繰り返し読み返したことだろう。先生が研究対象とされた原文を自分の手で徹底的に読み砕き、その後先生の論文を何度も読み返すこと。この繰り返しによって、私は論文の書き方に関し、先生の「攻め方、守り方」が目をつぶっても浮かぶようになった(気がした)。それは、有名選手のフォームをまねて素振りを続ける野球少年と何ら変わらぬ気持ちであった。苦労の末修士論文を提出し、先生から「100年先の世界のために研究するように」と言われたとき、私は「普遍」という言葉を何度も心の中でつぶやきながら、熱いものがこみあげた。