よい経営はよいガバナンスから生まれる(上) 加護野忠男・甲南大学特別客員教授/神戸大学名誉教授|「プロ経営者の教科書」CEOとCFOの必修科目|ダイヤモンド・オンライン
――昨2014年12月、金融庁と東京証券取引所から「コーポレートガバナンス・コード」の原案が示されました。マネジメントの研究者という立場からご覧になって、どのように評価されましたか。
加護野(以下略):どんな内容のものが出てくるのか心配していましたが、思っていたほど悪くないというのが率直なところです。大きくは3つの点で評価できます。
第1に、コーポレート・ガバナンスについて、初めてまともな定義がなされたことです。「コーポレート・ガバナンスとは何か」という本質的な問いに対して、まず「株主の意思や期待を企業経営に反映させること」という偏った見方から、「よい経営を担保するための制度や慣行」という視点で定義しています。私の考える定義は、まさしく後者と合致します。
具体的には、「株主をはじめ、顧客・従業員・地域社会等の立場を踏まえて、透明・公正で、迅速・果断な意思決定を行うための仕組みを意味する」として、株主以外のステークホルダーを強く意識する必要性も示されました。
第2に、コーポレート・ガバナンスの目的を、不祥事の防止から「持続的な成長と中長期的な企業価値の向上のため」と明示したことです。株価が長期的な企業価値を正しく表すのであれば、何ら問題はありませんが、市場はえてして近視眼であり、その結果、投資家も経営者も短期主義に走りがちでした。まったく本末転倒です。
第3に、日本の会計基準などに見られる「細則主義」ではなく、「原則主義」を採用したことです。前者はとても機能的ですが、「最低限のことだけをやればよい」、裏返せば「記載されていないことはやらない」、あるいは「記載されていなければ何をやってもよい」という考え方を招きやすく、各企業が自社の独自性を踏まえながら不断の経営改革に努めるという、コーポレート・ガバナンス本来の目的がなおざりにされてしまいます。
――先の原案が、株主以外のステークホルダーを尊重する必要性について言及したことを評価されました。とはいえ、法律で定められているように、株式会社の所有者は株主であり、経営者は株主の利益を最優先に考えなければならない、というのが一般的な認識ではないでしょうか。
「会社はだれのものか」という問いには2つの論点があって、一つは所有権の問題であり、もう一つは「だれの利益を考えるのか」という問題です。
まず前者については、株主は株券の所有者であり、また資産の所有者と言い換えることもできます。しかし、だからと言って、その資産を自由に処分することはできません。また、株主は株券をだれかに譲渡することで、いつでも株主を辞めることもできます。
たしかに、株式会社の所有者は株主であると法律は定めていますが――経済学者の岩井克人さんは『会社はだれのものか』(平凡社)のなかで、法理論的におかしいと主張されていますが――経営学の立場から申し上げれば、「会社はだれのものか」について議論するよりも、「だれの利益を考えるのか」に焦点を当てるべきです。
すなわち、会社の持続的な成長と繁栄、あるいは社会的責任を考えるならば、株主のみならず、従業員、消費者や顧客、債権者、地域社会といったステークホルダーの利益を考えるべきでしょう。日本語の字義通り、彼らも「利害関係者」なのです。
――前回指摘された、経営者の無責任やモラル・ハザードに歯止めをかけるために導入されたのが「内部統制」だったのではないでしょうか。
これまでに行われたコーポレート・ガバナンス改革のなかで、何より理解に苦しむのが内部統制です。これは、エンロンやワールドコムの不正会計事件がきっかけとなって、2002年、アメリカでサーベンス・オクスリー法(SOX法)が施行されたことに端を発するわけですが、メリットよりもデメリットがはるかに上回っているように思います。
そもそも日本の場合、企業が、株主、銀行、顧客、サプライヤー、従業員、世論など、さまざまなステークホルダーと長期的な信頼関係を築く一方で、 これらステークホルダーは経営を監視する役目を果たしていました。このおかげで、大企業か中小企業か、上場か非上場かを問わず、自律的な統制システムが生まれ、きちんと機能してきました。
広島県に化粧筆で世界一のシェアを誇る白鳳堂という会社があります。そこの郄本和男社長が、次のようなことをおっしゃっていました。
「広島の熊野町のような小さな町で会社をやってましたら、町の人はみんなうちの会社を監視しています。もし私が経営に専念せず、ベンツでも乗り回していれば、この町で暮らすことはできません」
会社が左前になれば、職を失う人が出る。そうならないように、従業員も地域の人たちも厳しい目で見る。だからこそ、経営者はまじめに経営するし、従業員も一生懸命働く。その結果、品質の高い商品が生まれる――。こういう好循環が働いているのです。
内部統制のような制度に頼らずとも、こうした健全な牽制によって、よい経営は実現可能であり、日本企業は実際そうやってきたのです。