とても奇妙な事に、アブラハムの宗教と総称される三大一神教のどれにおいても、教えの中核はアブラハムにはない。キリスト教においては中心はイエスであり、イスラムにおいてはムハンマドにおける啓示であり、ユダヤ教においてすら、アブラハムより遙か後の時代のモーセに対する律法の授与に中核がある
「アブラハムの宗教」と総称されるユダヤ教、キリスト教、イスラム教に共通するのは、それぞれの教えの中核が、アブラハムより遙か後の時代に形成されたにもかかわらず、決定的な啓示が与えられるよりも前の時代の人物であるアブラハムの中に、自らにとっての極めて積極的な模範像を見出していることだ
アブラハムという人物において面白いのは、彼には何の「教え」もないという事実だ。創世記を読んでも、アブラハムは何の教えも説きはしない。自らを超えた何ものかの促しに導かれて行動するだけだ。この固定的な「教説」の欠如こそが、彼を、かなり異なった三つの一神教の「共通」の祖たらしめている。
率直に言って、イエスの隣人愛の教えがそれほどインパクトのあるものなのか、よく分からない。奇跡や予言を行い、復活してしまうエキセントリックな所を神話として否定したら、あまりにも凡庸な人物になり、これほどの影響を人類史に与えたことが説明不能になってしまって、むしろ不合理なのではないか
表面的には「凡庸」であっても神格を有する。
「神格を有する」ということはミタマが磨かれているということであって、意識が奥に入っていて、深いところで宇宙につながっている。
そうすると自分の意識の在り方が宇宙に影響を及ぼす。
「自分の意識の在り方が宇宙に影響を及ぼす」ようになると、浄化行ができるようになる。
尤も、イエスが行った奇跡は秘教に基づく。
つまり、機械パワーを使っているのである。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150627#1435401467
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150626#1435315073(「科学」: ヨガ神仙界系)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150626#1435315075
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150624#1435142412
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150617#1434537819(古神道: ヨガ神仙界系)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141107#1415356829(既に早く射を離れた彼の心は、ますます枯淡虚静の域にはいって行ったようである。)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140420#1397990183(孤高なる存在は、この世的には常に寂静とした生活をするより他なかったのです。)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20131120#1384944657(彼は生滅を超えた純一玄妙の一心を以て自我とし、随処に解脱し、歩々光明の中を行くを旨とした。)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20111214#1323873190(『名人伝』: ヨガ神仙界系 )