長崎市長平和宣言「戦争をしないという理念は永久に変えてはならない。広島、長崎、沖縄、そしてアジアの人々を苦しめた惨禍を忘れてはならない。日本政府に訴える、核抑止力に頼らないでください。安保法制の審議のもと、日本国憲法の理念が揺らいでいる懸念が広がっています(会場から盛大な拍手)
被曝者代表平和への誓い「原水爆禁止運動にはげまされ、時代の山ではなく運動のなかでいきてきた。政府がすすめている安保法制は、被爆者の思いを根底から覆すものであり、到底許すわけにはいきません(会場から盛大な拍手)」
NHK、安倍が献花するタイミングで被曝者らが安保法制撤回を求めていることをナレーションしたね。
NHK昼のニュースのトップで長崎市長の安保法制への懸念。長崎市長が読み上げているときの、目が泳いでいる安倍をアップで映す。
不戦の理念、永久に変えてはならない 長崎平和宣言全文:朝日新聞デジタル
大量の放射線が人々の体をつらぬき、想像を絶する熱線と爆風が街を襲いました。24万人の市民のうち、7万4千人が亡くなり、7万5千人が傷つきました。70年は草木も生えない、といわれた廃墟の浦上の丘は今、こうして緑に囲まれています。しかし、放射線に体を蝕(むしば)まれ、後障害に苦しみ続けている被爆者は、あの日のことを1日たりとも忘れることはできません。
原子爆弾は戦争の中で生まれました。そして、戦争の中で使われました。
原子爆弾の凄(すさ)まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、核兵器は存在してはならない、そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みました。日本国憲法における平和の理念は、こうした辛く厳しい経験と戦争の反省の中から生まれ、戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です。
今、戦後に生まれた世代が国民の多くを占めるようになり、戦争の記憶が私たちの社会から急速に失われつつあります。長崎や広島の被爆体験だけでなく、東京をはじめ多くの街を破壊した空襲、沖縄戦、そしてアジアの多くの人々を苦しめた悲惨な戦争の記憶を忘れてはなりません。
70年を経た今、私たちに必要なことは、その記憶を語り継いでいくことです。
原爆や戦争を体験した日本、そして世界の皆さん、記憶を風化させないためにも、その経験を語ってください。
若い世代の皆さん、過去の話だと切り捨てずに、未来のあなたの身に起こるかもしれない話だからこそ伝えようとする、平和への思いをしっかりと受け止めてください。「私だったらどうするだろう」と想像してみてください。そして、「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。若い世代の皆さんは、国境を越えて新しい関係を築いていく力を持っています。
世界の皆さん、戦争と核兵器のない世界を実現するための最も大きな力は私たち一人ひとりの中にあります。戦争の話に耳を傾け、核兵器廃絶の署名に賛同し、原爆展に足を運ぶといった一人ひとりの活動も、集まれば大きな力になります。長崎では、被爆二世、三世をはじめ、次の世代が思いを受け継ぎ、動き始めています。
私たち一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。
今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議は、最終文書を採択できないまま閉幕しました。しかし、最終文書案には、核兵器を禁止しようとする国々の努力により、核軍縮について一歩踏み込んだ内容も盛り込むことができました。
NPT加盟国の首脳に訴えます。
今回の再検討会議を決して無駄にしないでください。国連総会などあらゆる機会に、核兵器禁止条約など法的枠組みを議論する努力を続けてください。
また、会議では被爆地訪問の重要性が、多くの国々に共有されました。
改めて、長崎から呼びかけます。
オバマ大統領、核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、世界中の皆さん、70年前、原子雲の下で何があったのか、長崎や広島を訪れて確かめてください。被爆者が、単なる被害者としてではなく、“人類の一員”として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。
日本政府に訴えます。
国の安全保障は、核抑止力に頼らない方法を検討してください。アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。未来を見据え、“核の傘”から“非核の傘”への転換について、ぜひ検討してください。
この夏、長崎では世界の122の国や地域の子どもたちが、平和について考え、話し合う、「世界こども平和会議」を開きました。
11月には、長崎で初めての「パグウォッシュ会議世界大会」が開かれます。核兵器の恐ろしさを知ったアインシュタインの訴えから始まったこの会議には、世界の科学者が集まり、核兵器の問題を語り合い、平和のメッセージを長崎から世界に発信します。
「ピース・フロム・ナガサキ」。平和は長崎から。私たちはこの言葉を大切に守りながら、平和の種を蒔(ま)き続けます。
また、東日本大震災から4年が過ぎても、原発事故の影響で苦しんでいる福島の皆さんを、長崎はこれからも応援し続けます。
現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯(しんし)な審議を行うことを求めます。
被爆者の平均年齢は今年80歳を超えました。日本政府には、国の責任において、被爆者の実態に即した援護の充実と被爆体験者が生きているうちの被爆地域拡大を強く要望します。
原子爆弾により亡くなられた方々に追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は広島とともに、核兵器のない世界と平和の実現に向けて、全力を尽くし続けることを、ここに宣言します。
2015年(平成27年)8月9日 長崎市長 田上富久
長崎市の平和公園で行われた平和祈念式典には、被爆者や遺族などおよそ6700人のほか、原爆を投下したアメリカから核軍縮を担当する政府高官が初めて出席するなど、被爆70年の節目ということもあり、これまでで最も多い75か国の代表が出席しました。
式典では、はじめに、この1年間に亡くなった人や新たに死亡が確認された人、合わせて3373人の名前が書き加えられた16万8767人の原爆死没者名簿が奉安箱に納められました。そして、原爆が投下された午前11時2分に合わせて平和の鐘が打ち鳴らされ、原爆で亡くなった人に黙とうをささげました。
続いて、長崎市の田上市長は平和宣言の中で、「長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です」と述べました。そのうえで、今の国会で最大の焦点となっている安全保障関連法案に触れ、「日本国憲法の平和の理念が、今、揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会にはこの不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯(しんし)な審議を行うよう求めます」と述べ、被爆地・長崎としての懸念を示し、慎重な審議を求めました。
このあと、安倍総理大臣があいさつし、広島の式典では触れなかった非核三原則について堅持するとしたうえで、「『核兵器のない世界』の実現に向けて、国際社会の核軍縮の取り組みを主導していく決意を新たにいたしました」と述べました。
被爆者の平均年齢は80歳を超え、ことしの原爆の日は、被爆者がその体験を語ることができる最後の節目になると言われています。
長崎は、原爆の犠牲者を追悼し、被爆者が身をもって訴え続けてきた平和をどう守っていくか考える一日となります。
長崎で「原爆の日」の平和祈念式典に出席したアメリカのケネディ駐日大使は、大使館を通じてコメントを発表しました。
この中で、ケネディ大使は「われわれは長崎で亡くなられた方々を追悼し、第2次世界大戦のすべての犠牲を思い起こし、すべての人が平和に暮らすことができる世界に向け努力することを改めて誓います。第2次世界大戦終結から70年を迎えることし、日米関係は和解の力を示す模範となっています。アメリカは、オバマ大統領が掲げる核兵器のない世界という目標の実現を前進させていくうえで、日本と引き続き連携していくことを望んでいます」とコメントしています。
国連のパン・ギムン(潘基文)事務総長は、長崎市で開かれた平和祈念式典に国連を代表して出席したキム・ウォンス軍縮担当上級代表を通じてメッセージを寄せました。
この中で、パン事務総長は「長崎の人々は、世界で核兵器が使われるのは長崎が最後でなければいけないという強いメッセージを送っている。被爆者の平均年齢が80歳を超えるなか、世界は核兵器を一掃することで被爆者の思いに報いなければならない」と訴えました。そのうえで、「世界は70年というあまりにも長い間、核兵器の影におびえてきた。長崎市の田上市長が言うとおり、人間がつくった核兵器は人間こそが廃絶できる。国連はその目的を達成するため全世界の人々に働きかけていく」と述べ、改めて国際社会に核兵器の廃絶を呼びかけました。
この中で、安倍総理大臣は「今日の復興を成し遂げた長崎の街を見渡すとき、改めて平和の尊さをかみしめている。世界で唯一の戦争被爆国として、非核三原則を堅持しつつ、『核兵器のない世界』の実現に向けて国際社会の核軍縮の取り組みを主導していく決意を新たにした」と述べました。
そのうえで、安倍総理大臣は「わが国としては、核兵器国と非核兵器国、双方の協力を引き続き求めつつ、『核兵器のない世界』の実現に向けて一層の努力を積み重ねていく決意だ」と述べました。
また、安倍総理大臣は「ことし、被爆者の方々の平均年齢が初めて80歳を超えた。被爆者の方々に支援を行うために制定された『被爆者援護法』も施行から20年を迎えた。特に原爆症の認定が一日も早くなされるよう審査を急いでいく」と述べました。
安倍総理大臣は、今月6日に広島市で開かれた平和記念式典でのあいさつで「非核三原則」という文言を使わなかったことに野党などから批判が出たことも踏まえ、9日のあいさつには非核三原則という文言を盛り込みました。