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「ロン・ヤス」関係の原点 外交文書で明らかに NHKニュース

これは、当時の中曽根総理大臣のアメリカ訪問に関する情報を記録した外交文書で明らかになりました。
それによりますと、1982年11月18日、自民党の総裁予備選挙に立候補していた中曽根氏が、日本を訪問していたアメリカ政府高官と会談し、「総理大臣に選ばれた場合には、翌年1月にもアメリカを訪問したい」と伝えていたということです。
その直後に総理大臣に就任した中曽根氏のアメリカ訪問を巡っては、当初、外務省が、貿易摩擦で日米両国の関係が悪化していたため、入念な準備が必要だとして、1983年の4月末から5月初めの大型連休を利用した訪問を、「ほとんど唯一の実行可能な案」として検討していました。
しかし、結果的に中曽根氏の強い意向を受けて、総理大臣就任直後の1月18日に、アメリカでレーガン大統領との初めての首脳会談が実現し、のちに「ロン・ヤス」と愛称で呼び合う関係の原点となりました。
また、外交文書では、中曽根氏が日米首脳会談の1か月前の1982年12月18日、大河原駐米大使に、首脳会談に臨む姿勢として、「レーガン大統領と『レッツ・ゴー』の精神で意気投合したい。信頼関係を強化し、日米関係の円滑化を図りたい」と述べていたことや、当時、課題となっていた日本からアメリカへの武器技術の供与について、「自分が決断すればいいことなので、いけると考える。国会が止まることも覚悟して対処する」と述べていたことも明らかになりました。
日米外交史が専門の東洋英和女学院大学の増田弘教授は「中曽根氏は、いち早くトップどうしで信頼関係を築くことが日米関係にとって極めて重要だと考えており、中曽根氏自身の対米戦略や外交方針が文書の中に色こく出ている」と話しています。

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