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北朝鮮で揺れ観測 “核実験の可能性” NHKニュース

気象庁によりますと日本時間の6日午前10時29分、北朝鮮北東部の北緯41.6度、東経129.2度付近で通常の地震の波形とは異なる振動が観測されました。
深さはごく浅く、規模はマグニチュードに換算すると5.1と推定されるということです。
通常の地震の波形とは異なることから、気象庁は「核実験の可能性もある」とみて波形の詳しい分析を行っています。
今回、揺れが観測された場所の付近には北朝鮮の核実験場があります。
3年前と7年前、それに10年前に北朝鮮が地下核実験を行った際には、今回と近い場所で地震の規模に換算してマグニチュード5前後の振動が観測されました。
気象庁によりますと地震の場合、地震計に記録される波形は小刻みな揺れから始まり、次第に振幅が大きくなりますが、地下核実験による振動の場合は最初から振幅の大きな波形となります。
今回記録された波形も、過去に北朝鮮で地下核実験を行った際に観測された波形とよく似ているということで、気象庁はこのあと午後0時半から記者会見を開いて説明することにしています。

気象庁は、今回観測された波形について、「過去に北朝鮮で地下核実験を行った際に観測された波形とよく似ている」と話しています。

北朝鮮 過去に3度の核実験 NHKニュース

北朝鮮は2006年10月と2009年5月、3年前の2月と過去3度の核実験を行っています。


3度の核実験は、いずれも北東部、ハムギョン(咸鏡)北道のプンゲリにある核実験場で行われました。核爆発の規模については、1回目の核実験がTNT火薬にして1キロトン以下と広島に投下された原爆の15分の1以下でしたが、2回目の核実験では、数キロトンに増えたとみられています。
実験を行った時期は、いずれも北朝鮮による弾道ミサイルの発射を受けて国連安全保障理事会北朝鮮に対する制裁を強化する決議などを採択したあとです。
2006年はミサイルの発射からおよそ3か月後に核実験を行い、2009年には1か月余りあと、そして3年前は2か月後に実施していました。

北朝鮮 水爆の実験実施を発表 NHKニュース

北朝鮮国営の朝鮮中央テレビは、日本時間の6日午後0時半から「特別重大報道」として臨時ニュースを放送し、日本時間の午前10時半、初めての水爆の実験を行い、「完全に成功した。水爆の技術が正確だということを証明し、小型化された水爆の威力を科学的に解明した」と伝えました。
そのうえで、「水爆の実験はアメリカをはじめとする敵対勢力から、国の自主権と生存権を守り朝鮮半島の平和と安全を保証する自衛的措置だ」と正当化するとともに、「核抑止力を質的、量的に絶えず強化していく」と主張しました。
また、今回の水爆の実験は、キム・ジョンウン金正恩)第1書記が先月15日に命令を下し、今月3日に最終命令書に署名したということで、朝鮮中央テレビは、署名を行うキム第1書記と署名の入った命令書の写真を放送しました。北朝鮮が核実験を実施したのは2013年2月以来およそ3年ぶり4回目ですが、水爆の実験を行ったと発表したのは初めてです。
水爆を巡って北朝鮮の国営メディアは先月10日、キム第1書記が「わが国は水素爆弾の巨大な爆音をとどろかせる核保有国になることができた」と述べたと伝えていました。北朝鮮指導部としては、キム第1書記の誕生日を8日に控えて、新たな核実験に踏み切ることで国威発揚を図るねらいがあると受け止められていますが、友好国の中国を含め国際社会からの強い非難は避けられないものと見られます。

北朝鮮の報道を分析しているラヂオプレスによりますと、北朝鮮が「特別重大報道」とする放送を行うのはこれが初めてだということです。
北朝鮮はこれまで「特別重大放送」として2000年4月、韓国のキム・デジュン(金大中)大統領とキム・ジョンイル金正日)総書記との南北首脳会談の開催を伝えたことがあります。
2011年にキム・ジョンイル総書記が死去した際は、事前の予告のあと、国営テレビとラジオを通じて「特別放送」を行い、また国営通信社が「重大報道」として伝えました。「重大報道」はこのほか、2011年10月、キム・ジョンイル総書記によるロシアの通信社への書面インタビューと、2012年7月にキム・ジョンウン第1書記に元帥の称号が与えられたと伝えた例があります。
「特別重大報道」が行われたのは6日が初めてです。

“北朝鮮が実験” の水爆 どんな核兵器か NHKニュース

原爆がウランやプルトニウム核分裂反応によってエネルギーを生み出すのに対し、水爆は太陽が膨大なエネルギーを作り出すのと同じ核融合反応を利用します。同じ燃料の量であれば、水爆のほうがより大きなエネルギーを得られるため、原爆に比べ、威力は桁違いに大きくできるとされています。
ただ核融合反応を起こすには、超高温、超高圧の状態を作り出す必要があり、実用化されている水爆では、原爆を起爆剤にして重水素などの核融合反応を起こす方法が一般的です。
日本原子力研究開発機構によりますと、水爆は発生する放射性物質がほとんどないとされ、放出される物質で水爆による実験かどうかを確かめるのは難しいということです。
しかし、起爆剤に原爆が使われるため、監視は通常の核実験と同じ態勢で行われるということです。
水爆は1950年代以降、アメリカと旧ソ連の冷戦を背景に、両国での開発競争が盛んになり、世界各地で実験が行われました。1954年、太平洋のビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験は、広島に投下された原爆の1000倍の規模とされ、放射性物質いわゆる「死の灰」が太平洋の広い範囲に降り注ぎ、日本の漁船「第五福竜丸」の乗組員23人全員が被爆して、このうち1人が亡くなっています。