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» 変わる職場。私たちの「仕事」はどこに向かっているのか。(連載「パックス・ジャポニカへの道」) | IISIA 株式会社原田武夫国際戦略情報研究所

24・25日の二日間にわたってオーストラリア・シドニーで開催された「ワールド・ビジネス・フォーラム」に出席してきた。

こうした種類の、経営者ないし経営幹部層を対象とした公開有料フォーラムは米欧社会において様々な形で行われている。

言ってみればMBAスクールの延長のようなものであり、大学院で行われるadvanced management programに通う時間がないエグゼクティヴたちに、「今考えるべきこと」をトップ・ランナーからの話という形で一気に聴いてもらうために行われるものだ。

―現在「職場」で起きていることの本質は、“仕事”が時間管理から外れ始めたという点にある。なぜこのようなことが生じているのかといえば、そもそも19世紀までの「仕事」は手工業であり、労働者が造ったものの単位でその報酬が支払われたのに対し、20世紀に入る頃から産業化が進み、単位時間内に労働者は決められた作業が出来るかどうかが問われるようになったことによる。しかしここに来て「仕事」は知的労働(knowledge work)の比重が急速に高くなってきており、そのため、そこで課されること(task)を解決出来る人たちが集められ、プロジェクトが形成されると共に、解決されれば解散する、という形で遂行されるようになってきているのだ。そこではタスクが解決されるかが全てであり、必ずしもフルタイムの労働者たちが集まることも求められてはいない点に留意する必要がある


―従来、「職場」では均質的な労働者の存在が前提とされてきたが、この前提が先進国では決定的に崩れ始めている。一方では人口の高齢化が進んできており、かつ平均寿命が劇的に伸びていることから、高齢者による就労可能性を確保する必要が生じている。そしてこれら比較的高齢な就労者たちが求めているのは必ずしも「高い賃金」ではなく、「意味のあること」である点に留意しなければならない。他方で資本主義の発展段階に応じて、そこで生まれ、育ち、働いて来ている各世代の意識も大きく変わりつつある。そして現在の「職場」では異なる意識を持った異なる世代が混在して働いているわけであり、従来型の「管理型マネジメント」がそもそも時代遅れになってきてしまっているのだ

「時間管理」を骨子としてきた従来型のマネジメントをもはや無効化してしまっている

マネジメントの側から見れば、そうした人財をあらゆる手段を用いて集めなければもはや今後、「仕事」を進めることは出来ないということになってくる。その意味で「スタッフ集め(staffing)」こそがマネジメントの中心業務に既になっているのであり、実はこの点についてはかつてドラッカー(Peter Drucker)が指摘していたことなのである。その慧眼は実に驚くべき鋭さである

―プロジェクト単位での仕事となり、しかもそこでの「仕事」がタスクをこなすことにあるとなれば、マネジメントの側において組織行動の観点から最も留意すべきは「裁量(discretionary)」を就労者の側において最大限確保してやることである。マネジメントは「管理プロセス」であると語る時代は終ったのであって、マネジメントはむしろ「職場」のあらゆるところで組織が追求すべき価値(value)に労働者の側が触れられるようにし、そのことにより、働くことの”意味“を労働者の側が常に認識出来るようにすべきである。またマネジメントの側が労働者に対して行った「約束」を破ることが最もネガティヴなインパクトを与えることも認識しておくべきだ

もっとも以上の様な論が語られる一方で、「戦略は立てていると答えた企業の実に70パーセントが、その”執行“に問題があると考えている」との指摘も他のパネリストからはなされていた。そしていわゆる「バランス・スコアシート」の徹底した導入によって戦略を執行(execution)のレヴェルにまで落とすことが今や必須となっていると論じられたが、これに対しては会場の側より「マネジメント・レヴェルから就労者のレヴェルへエンパワーメントをより一層進めるべきという昨今の風潮に真正面から反するのではないか」との指摘がなされていたのが大変興味深かった。

またリーダーシップ論についても議論が行われた。リーダーシップ論というと我が国では「フォロワーシップがあってのリーダーシップ。したがってまずはフォロワーシップとのコミュニケーションを考えるべき」という議論が多い訳であるが、これに対して今回のフォーラムの席上ではむしろ議論の出発点はリーダーシップの”キャラクター(人格)”に帰着するとしていたのが印象的であった。すなわちcourage(勇気)、diligence(勤勉さ)、gratitude(感謝)、honesty(正直さ)、loyalty(忠誠)、そしてmodesty(謙虚さ)の6つの要素があれば、結局、全てはうまくいくというのである。リーダーたるもの、出発点は己の心の持ちようを越えて、その結晶としての「人格」そのものであると断言し、これを修養することこそが企業活動の全てをうまくいかせる秘訣であると述べていた。

我が国では個別の企業努力を語る前に何かといえば「アベノミクスが」「政府が」と語る傾向が依然として強い。しかしグローバル・マクロ(国際的な資金循環)が織りなす世界史は着実に動き続けているのであって、これまでその担い手の一翼を担っていた米欧勢のビジネス・エリートたちは引き続きそこにおける「文脈(narrative)」を創り続けているのである。今後、仮にこれら米欧勢が何等かの理由でその支配的な地位を手放し、一時的であれ我が国に対してそれをゆだねるという形で「パックス・ジャポニカ(Pax Japonica)」に向けた端緒が見えた時、果たしてこれほどまでに力強く続けられてきた「文脈」づくりをも担うための知恵と力をもった我が国のビジネス・リーダーがいるのか、いないのか。あるいはこれから全く新しく現れるのか、現れないのか。―――私自身、主体的な意識を引き続き高めつつ、この世紀の難題に対して全身全霊、ぶつかっていきたいと考えている。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160520#1463740821
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160512#1463049853
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20151108#1446979308