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登場人物 板部岡 江雪斎 (山西 惇)|NHK大河ドラマ『真田丸』
板部岡江雪斎 - Wikipedia

名胡桃城 - Wikipedia

史料上では、上杉景勝との甲越同盟により東上野の割譲を受けた武田勝頼が、天正7年(1579年)に家臣の真田昌幸に命じて、敵対関係となった後北条氏から沼田領を奪取するための前線基地として築いた城である。昌幸は小川可遊斉と共に名胡桃館を攻略して隣接地に築城、ここを足がかりとして昌幸は沼田城攻略を企図し、調略の結果、沼田城を手に入れることに成功した。


1582年の武田氏の滅亡後、天正壬午の乱を経て独立した真田氏と後北条氏が沼田・吾妻領をめぐって争った。名胡桃城は沼田城の有力な支城として、沼田領に攻め入ってきた北条の軍を退けた。


天正17年(1589年)、豊臣秀吉の調停で沼田領は北条に引き渡されることとなったが、真田氏は「名胡桃城は祖先の墳墓の地である」と主張して、名胡桃城の譲渡を拒否、秀吉は津田盛月と富田一白を派遣し検分した結果、沼田城を含む利根沼田の3分の2は後北条氏領となったが、利根川を境として、名胡桃城を含む残り3分の1はそのまま真田領として安堵されたという。名胡桃城には鈴木重則が城代として入ったが、同年11月、沼田城代となっていた北条の猪俣邦憲が、重則の家臣を寝返らせて名胡桃城を奪取する(名胡桃城事件)。これが惣無事令に違反したとして秀吉の怒りを買い、翌1590年に小田原征伐が行われ、これによって後北条氏は没落した。