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建築家インタビュー

建築は中庸を持って良しとすべきである。
西欧の古典建築の山脈の中に
現代建築への答えが見える。

建築を言葉で説明することは出来ない
三角定規でプロポーションを確認する手だれの建築家は
シンプルさの極みを見つめている。

 若い頃、“第一工房”で働いていました。自分がこれから建築家として自立するために、なにが必要かを模索していました。
 ひとつは、日本の建築ジャーナリズムへの懐疑。もてはやされるスター建築家とその脈絡のない作品群に心が動かなかった。
 また、設計するうえで、当時行き詰まってしまったのは、建築をシンプルにシンプルに作ると限りなくゼロに近づいてしまう。自分自身でその先が見えなくなってしまった。
 国立のヴェネツィア建築大学を留学先に選んだのは、日本でル・コルビジェなどを通して間接的に古典に触れるのではなく、古典が溢れているイタリアに身を置いて、直接古典を、その奥の装飾を学んでみたかったから。 建築における“光”や“素材”“空間のあり方”・・・。そういうことはその当時の教条的機能主義建築からは何も学べない。建築の本質を肌で感じるためにイタリアに行こう、そう考えた。

 私が手がけた建物は極めてシンプルで素材感は豊かである。そして、すみずみまでしっかり作る。端の端まできちんとチェックして、丁寧に。
 国立国会図書館関西館でも、六万平方メートルの建物をここまでやるか、という位、細部をきちんと作った。デザインはたいしたデザインでもない。箱で、シンプルで。でも、壁面もきれいなプロポーションになっているので、ものすごく気持ちがいい。
 多くの方から賛辞をいただいたが、先日も、カナダのナショナルライブラリーの館長やオーストラリアの専門家が見学に来て、驚いていた。美しさとともに、日本独自の精緻さ、繊細さがある、と。イタリアの“ドムス誌”を始めヨーロッパでの評価の方がむしろ高い。
 街に建築物を作るだけで、公共性がある。注意が必要だ。家一軒にしても。やはり、街に対して敬意を払い、気持ちの良い建物を建てたいと思う。表層の、はかない時代性をそのまま反映するのではなく、永続性があり、時間の経過とともに輝きが増す建物をめざしている。
 建築は、昔から大きな山脈の中で淘汰されてきた歴史がある。自分だけの恣意的なデザインではなく、絶えず歴史的な建物で検証を得ながら作れば、間違うことはない。

 私の提案は二つの点が評価されたと思っている。
 ひとつは、書庫に対する考え方で、固定と集密と自動の三つの書架のうち、固定書架を利便性の高いカウンターの近くに、自動書架をあえて最後部に持ってきた。六百万冊の中での閲覧の頻度と迅速な提供を考えた結果である。使われる本は限られる。本の請求から届くまでの時間の短縮が、大きな図書館の命題である。
 もうひとつは大規模建築の設えである。防水や空調の手立てを万全にして、ボリュームの大きな書庫を地下に置き、五千六百万平方メートルもの、サッカー場ぐらいの広さがある閲覧室を半地下にひとつにまとめた。つまり四分の五は地下か半地下として、採光を必要とする居室のみ地上に出した。
 大きな閲覧室は隅々まで光が行き亘るように鋸状の全面トップライトとした。そしてあえて南面から動きのある自然な光を取り入れた。
 広大な施設なので、第一次避難所としての中庭を設け、建物のどこにいても、中庭の雑木林を視界に捉えることで、自分の位置と避難経路が体感できるように設計した。
 エントランスには滝を配し、京都という都市の文脈から、高瀬川や鴨川のような、薄い水の流れで、喧騒から静寂への軽やかな結界をイメージした。

 ある街区の住居計画を立てる場合に、ひとつの棟の居住者に、老人から若者、所得層にもバラつきをあえて持たせる。それはどういうことかというと、日本では大阪の千里ニュータウンや東京の多摩ニュータウンが、今は老人ばかりが住む団地になってしまっている。日本の民間の住宅は、新しく建てると、同じ所得層や同世代の人が入居する。歳月とともに住民は年老いていく。やがて老人団地と化す。
 そうすると若い世代だけが住み、子どもたちは老人との接触がない、あるいは、老人ばかりといういびつな街になる。
 フィンランドでは都市計画の初めから、街区の中にいろんな層を混ぜようと考える。彼らは建物のデザインだけではなく、何年もかけて中身もよく考えて、ある一角を作る。
 また景観においても極めて厳しい規制が布かれている。外壁の仕上、色、高さ、さらに屋根の勾配のつけ方や、窓のプロポーション、商店の看板の素材や大きさまで細やかな規制がある。ヴェネツィアでは、木製や真鍮製でなければ、看板を出すこともできない。縦長の窓が続いている通りに、突然、横長の窓があると受ける印象が全く変わってしまう。
 そのように、都市に建築をつくる場合は細かな規制がある。その規制によって景観のベースをじっくり歳月をかけて作っている。そして市庁舎や図書館であるとかその都市の核になるものを建てるときには、思い切った象徴的なデザインになる。
 昔は日本も西洋に追いつけ、追い越せと言っていたが、ここにきて差がむしろ開いている印象を持っている。

 車の収納と、土地の有効利用を考えると、地下駐車場を私は支持したい。

 これまで見てきた駐車場では、ラフェエロ・モネオが設計したスペイン・セビリアの空港の美しさが印象に残る。飛行場と、隣接したパーキングスペースには屋根がかけられ、外部空間から光が入る、たいへんにきれいな設計だった。ラフェエロ・モネオは、バルセロナ駅の駐車場もきれいに作っている。ポイントは車をあらわに露出させないこと。
 私も、パーキングでは、最近こんなアイディアを出した。公共建築の駐車場のケースだが、建物の前面に穴を掘って駐車スペースを作り、そこに植栽する。エントランスの通路は駐車場の上を通るブリッジにした。ファサードからは地下から伸びる木しか見えず、ブリッジの下に数十台の駐車した車があるというもの。
 自動車を上手く誘導して収めるというデザインには将来的な可能性が考えられる。

地下の書庫に興奮! 近未来的な建物に膨大な資料を所蔵する国立国会図書館 関西館 - Ameba News [アメーバニュース]

なぜ国立国会図書館関西館は宮殿みたいな豪華なつくりになっているのですか。... - Yahoo!知恵袋

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160909#1473417410
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160908#1473331257
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160905#1473071761