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#47 高尾山 〜高尾山はナンバーワンの山!?〜 | タモリのブラブラ足跡マップ | ブラタモリ - NHK


広葉樹 - Wikipedia

常緑性落葉性の樹木があり、それぞれ常緑広葉樹、落葉広葉樹と呼ばれる。

常緑広葉樹林 - Wikipedia

落葉広葉樹林 - Wikipedia

イヌブナ - Wikipedia

砂岩 - Wikipedia

泥岩 - Wikipedia

小仏層群 - 神奈川県温泉地学研究所

地球のからくり

高尾山 - Wikipedia

暖温帯系の照葉樹林帯(カシなどの常緑広葉樹)と冷温帯系の落葉広葉樹林(ブナ・イヌブナ・ナラ・ホオノキなど)・中間温帯林(モミ・ツガなどの針葉樹林)の境界に位置するため植生が豊かであり、しかも都市部に近い割には比較的よく保たれている。

高尾山は、東京近郊の行楽地として有名であるが、元来は修験道霊場であり、真言宗智山派大本山高尾山薬王院有喜寺の寺域となっている。高尾山という名前から真言密教の聖地の一つ・京都高雄山神護寺に見立てられたこともあり、天然の森林が守られてきた。中世には、八王子城(慈護寺城)主北条氏康北条氏照親子がこの山を保護し、氏照による「本山の竹木の伐採を禁じる」という制札が薬王院に残されている。江戸時代にも幕府直轄領となり八王子代官・大久保長安が山林保護政策をとり、その書状が同じく薬王院に残されている。その後も帝室御料林、国有林と常に保護されてきた。明治以降、牧野富太郎をはじめ、多くの研究者により高尾山が最初の発見地として新しい植物が発表された。

高尾山の大見晴園地トイレが「日本トイレ大賞」を受賞 – 1時間の行列解消も評価|おでかけガイド-東京版

高尾山麓駐車場 | 八王子観光協会

よくある質問 | 高尾登山電鉄公式サイト

高尾山って、山頂まで車で登れるのですか? - 救急車、消防車がしょっ... - Yahoo!知恵袋

京王御陵線 - Wikipedia

大正天皇崩御により造営された天皇家初の関東地区での多摩御陵が話題となり、多くの参拝者の移動手段として京王電気軌道の手により敷設された。普段は北野 - 多摩御陵前間の折り返し運転であったが、全盛期の頃は土日になると新宿からの直通運転が行われ、省線電車との熾烈な輸送競争を行っていた。

京王高尾線 - Wikipedia

高尾線の実質的起源は、関東地方初の皇室墓地である多摩御陵武蔵陵墓地)への参拝路線として開業した御陵線である。戦時中に不要不急線として休止された御陵線の一部を、1960年代の京王帝都電鉄(当時)による宅地開発で住宅地へのアクセス路線として復活させて山田 - 高尾山口間の新設線とともに高尾線とした。

Amazon.co.jp: 神々の黙示録―謎に包まれた神さま界のベールを剥ぐ: 金井 南龍: 本

現代の神話

 笠井 それはね、動物だって、そこいらにうごめいている守銭奴人間よりは高邁な精神生活をしている連中が存在するんだからね。
 金井 そういえば、天狗懸りの行者が、印をきって空を飛ぶカラスならカラスを落としますね。そうしますと、必ず脇の羽を一本抜くんです。そして呪縛を解いてまた飛ばすんですが、人間に羽を一本取ってもらったということが、カラスのほうからしますと、カラス天狗になれるひとつの霊的条件なんです。足が黄色くなって、おカラスさんになるまでには、こんなことも含めて幾多の行がいるんです。カラスはカラスなりにね。
 しかし、あらゆる人間が神を求めているのではないように、あらゆるカラスがそれを望んでいるわけではない。ただ、ちょうど殊勝な人間が神様信仰をやってるような具合に、ゴッホの絵の中にいるようなおカラスさんになることを目指しているカラスがいるんですな。
 筑糸 ゴッホの「麦畑」という絵ですね。
 金井 そうです。なぜ神様の話にゴッホが出てくるんだという人がいるかもしれませんが、神に通じるのは、なにも神社だとか教会に行くのが唯一の道ではないわけでしてね、そこのところをみんな錯覚してるんじゃないでしょうかね。仏教でいう在家信仰なんてのと混同されると困るんだが、自分が従事してる職業・技術・学問を徹底的にきわめようとすると、そんなときポンと向こう岸の、彼方の世界へと飛翔することがある。ゴッホは絵を一心不乱に描くことによって、神の世界へと通じることが出来たんだ。と私は経験上から思うんです。
 ゴッホは教会の牧師になったが、イエスの説く道を説けば説くほど信者は来なくなった。そして、彼は、絵を通じて神をきわめる道を選んだわけです。兄のそういう境地を一番よく知っていたのが弟のテオドルだったんじゃないでしょうか。だからテオドルがゴッホのめんどうをみたというのは、兄弟愛とかそういう次元じゃなく、神を礼拝するという境地だったんでしょうな。
 ゴッホの一連の絵を見れば、彼が神界ヒエラルヒアをどんどん昇っていったことがわかります。神を中心としてみた場合、初期の段階では駄作ももちろんあります。もっとも美術評論家や画商なんかは別の評価をしているようですがね。しかし、なんといっても、ゴッホの最高の絵は「麦畑」です。あの麦畑の上を飛ぶカラスの群れ、あの中に霊的なカラス、おカラスさんがいるんです。これは見る人が見ればわかる。神を求めている者の救いをゴッホは絵であらわしてくれた。大多数の神を求めないブタガラスは群れをなして崖から落ちて行く。が、おカラスさんは天国の高天原へと回帰して行くわけです。
 武田 ゴッホは最後に自殺しますね?
 金井 「麦畑」を描くことによって、ゴッホは自分の使命をまっとうしたわけですから、キリスト教の教理からすれば自殺は悪なんですが、この場合はそうじゃない。また、使命といったってマッカーサーの「老兵は消え去るのみ」といった人間的次元の問題じゃない。ゴッホ高天原へのパスポートを手に入れたわけでね、現象的には自殺だが、昇天飛翔といってもよい。そして彼は、もう何十年後か何百年後か、あるいは何千年後かに、自分のおカラスさんの次の展開を描く画家があらわれることを予期して死んでいったんです。

 金井 だいたいね、特定の宗教団体に入信すると、初心の功徳ということがあります。最初のうちは病気だって簡単になおるし、それなりの現世利益もたしかに得られる。これは玄米食の場合でも同じで、最初はききめがある。まぁ、幼稚園の生徒がちょっとしたことで、ごほうびをもらえるのと似ている。ところが、大人になると、ちょっとぐらい良いことをしたって、もらえませんわネ。それで、神なんてものは、人間世界の常識から言うと薄情きわまりないもんで、いよいよ、こいつは見込みがある、という段階まで信仰が進むとね、功徳を施すどころかね、およそ誰もあじわったことのない、なんで私はこんな悲惨な目にあわなきゃいかんのか、といった状態にするんですナ。これをおタメシというんです。これでもか、これでもかと人間次元では不幸と恐怖このうえない状態にしておいて、それでも、こいつは自分から離れない、と神が思うまで続くわけです。これは逆にいうと、おタメシを受けられるようになれば、たいしたもんだ、ということなんです。行者仲間でも、おタメシを受けないと一人前とはみなされません。

 武田 神様のランクの何合目という表現、これは山に関係があると思うんですが、行者の登山というのは、やはり、この神界のランクを踏まえて行われるわけですね。
 金井 それはもちろんです。登山家と称するのは、自分の体力とテクニックで山へ登って、そして頂上に立つと征服したと言う。スポーツなんです。スポーツ的考えなんです。ところが、行者が登る場合は、まず麓の湖とか川、滝があればなおいいわけですが、そこで身禊をする。
 筑糸 まず身を清めるわけだ。
 金井 そう、この身禊がお山詣りの切符になるわけです。そして改札にあたる賽の神から、その人間の親神の指示に従って、親神と同行二人の登山が開始される。そして麓の一合目から、逐次二合目、三合目という具合に挨拶しながら登ります。この挨拶というのは、二合目なら二合目にさしかかる時に、そこに一つの御眷属でもいいんです、あるいは神様のカケラでもいいんです。それが現れて下さる、現れた場合、その神様とのウケヒ・・・神霊との交流ができなければ、ちょうど学校の各学年での進級と同じで、三合目、四合目へはまだ行けないんです。
 筑糸 勝手に登ってはいかんわけだ。
 金井 エエ、自分は神様の光を受けられる五合目まではとてもじゃないがまだ登る資格がないというような場合は、五合目以上には登らないんです。日本人はこの点は非常に正直でしてね、山の頂上へ登ったというのは仏教渡来以前にはないんです。富士山なんか、地元の若い者が毎年、山開きの時、マラソン競争のようにして登るでしょう。そのタイム記録を見れば、二時間半ぐらいなんです。乗物のなかった昔はね、もっと足が丈夫だった。それなのに頂上をきわめていないんです。
 筑糸 仏教が入ってから、頂上まで平気で登るようになった?
 金井 ハァ、坊主というのは、神ヌキだから平気で登っちゃうんです。途中でもって神を拝む、神と交霊する、ウケヒする、それがいっさいないから、「空」や「無」といった観念を商品化している坊主どもは、今のスポーツ登山家のように登れるんです。しかし、日蓮なんかは正直ですよ。五合目以上の富士神界とのウケヒができなかったもんだから、ちゃんと五合目に六角堂を造って籠もってました。
 筑糸 最近の日蓮宗系の新興教団なんか、教祖の心を知らぬというか、身の程をわきまえぬというか・・・・。
 金井 ハァ、あれは宗教神理界の暴走族なんですナ。まぁ、それはそれとして、たとえばあの秩父の奥にある両神山、この頂上の神に感応できる者が来て、山へ登って、そして降りて来た、ということがあるとすると、実は本人が頂上へ登ってウケヒをしてきましたと言わなくとも、それがわかるイキミタマが麓には必ずいるんです、これが。
 筑糸 イキミタマ?
 金井 エエ、よく麓の神社なんかに、そういう人がいて、私たちはイキミタマと言っておるんです。たいてい雑役夫とか、山奥の淋しい奥宮に独り勤務している。洗いざらしのツギハギ白衣なんか着て、属官などをしているんです。

 米津 宮司さんや権宮司さんというエラい役職の人には、イキミタマはないわけだ。
 金井 あっ、そうだ、一人、宮司さんでイキミタマの人がおりました。あの有名な広島の厳島神社宮司さんがそうなんです。しかし、恰幅もそんなによくなく、どう見ても宮司さんというふうな人ではなかったです。厳島神社にお詣りしたのは、昭和三四年のことでした。島へ着くと町を通りぬけ、下乗、つまり、ここからは神域だからクルマを降りろという立札のあるところから、松並木のはずれに出て、有名な海の中の赤鳥居の写真を撮っていた時なんです。島の上空に、何千羽だかわかりませんが、島中のカラスと思われるのが群舞しだしたのです。もちろん、参詣客たちも空のザワメキに気がついて、一様に空を見上げてました。
 その中に、実はおカラスさんがいたんです。暗夜の燈台のサーチライトのように、その眼から金色の光芒を放っているので、すぐにわかりました。すかさず私は拍手を打って、挨拶の印を切りました。そして、もう一つの渦の中にも、ひとつがいの可愛いコおカラスちゃんがいるのがわかったので、同じく挨拶の印を送りました。
 おカラスさんともなると貫禄なんですな。何千羽というカラスを従えて、堂々たる空の行進なんですから・・・。
 筑糸 その時の写真を撮りましたか?
 金井 とんでもございません。もしそんなことでもしようものなら、フィルムは真っ黒。それだけならいいが、ハイカーや観光客ならいざ知らず、たとえ私でも行者の端くれですからね、自分の生命にかかわります。
 筑糸 ふつうの観光客にも見えたのでしょうか?
 金井 さあ、カラスの群れは見えても、おカラスさんはおそらく見えなかったでしょう。もし見えたとしたら、ふつうの人は人事不省に陥って倒れますので・・・・・そんな騒ぎが起きなかったですからねぇ。
 さて、そこでおカラスさんとのウケヒを済ませて御祈祷の申しこみをして・・・・・お詣りの詳細をしゃべってると長くなりますんで省略しますが、檜の錫杖(行者が用いる錫のついた杖)に焼印を捺してもらおうと社務所い申しこみましたところ、用務員室へ行って頼みなさいと言うんです。で、用務員室へ行ったんですが、用務員さんは「そんなものはない」と言う。
 すると、奥の畳の部屋の小さな食卓でお茶を飲んでいた五尺くらいの小柄な爺さんが、その用務員さんに、宝庫の中にあるから取って来いと命じましてね、用務員さんも物好きな参詣者のために迷惑なことですな、しぶしぶ社務所へ宝蔵の鍵を借りに行き、しばらくすると焼印を持って帰ってきました。
 夏のことでね、印を焼く火もないんで、用務員さんがガス台の上であぶろうとしますと、今度はその爺さん、ちゃんとコンロに炭火をおこせと言うんです。さすがに私も気の毒になりましたが、その爺さんは無頓着に、炭火をおこすのに時間がかかるから、こちらへあがって茶でも飲め、とすすめるんですよ。
 それで、畳の部屋にあがって、挨拶した時、ピシンと眼と眼が合いましてね、なるほど、この人はイキミタマなんだ、とはじめて気がつきました。
 「君か!おカラスさんを呼んだのは・・・」
 「まことに、かたじけないことで・・・」
 「かたじけねぇも、かたじけねぇ極みだ!」
 「まさか、この島におカラスさんが居ろうとは・・・」
 「なーんだ、知らずに来たのか、この果報者めが・・・俺ら、この島に住みついて何十年にもなるが、おカラスさんに会えるのは、五月の藪ヶ崎での、おカラスさんの祭りの時だけだ・・・」
 こんな会話を取り交わしているところへ、社務所神職さんが現れて、そのイキミタマ老人と社務所のことなど話し始めたんですが、神職さんの口から「宮司さん」という言葉が何度も飛び出すので、この老人が厳島神社宮司さんだとわかったわけです。
 「今夜、頂上で子の刻の行があるんだろう?」
 「ええ、お許しが頂ければ・・・」
 「お許しだと・・・こいつ、場合によれば厳島神界の全軍を相手にして闘うつもりでおりながら、よくもまぁ、ヌケヌケと・・・」
 「・・・・」
 「そんな、眼を光らせるな。・・・・お達しがあってな、頂上の行には抵抗はないよ。ケーブルの最終に乗って行けばよい。ところで焼印を捺す剣はどれだ?」
 「剣?」
 「あんたの錫杖のことだよ。ああ、これか、なになに、捺してある捺してある。富士、立山、木曾御岳、白山、あるなあるな、へェ・・・これか・・・神様が捺してやれとおっしゃったのは。・・・・ウチではな、この焼印は社宝か祭具でなければ捺さぬことにしておるんだぞ・・・」
 「それを、数ならぬ私ごとき者に・・・」
 「謙遜も時によりけりだ。役の小角、弘法大師、と君だ、とおっしゃっていたぞ! 実はな、事務をとっておったら神様からのお達しがあってな、焼印を捺してやれというんだ。そこで、ここへ来て待っていたというわけだ。どんな行者が来るのかと、楽しみに待っていたんだぞ。まぁ、時間はたっぷりとあるし、そこで火をおこしている用務員さんには聞こえぬようにしてあるし、また誰もここへは来れぬようにしてあるんでな、ひとつ諸国を経めぐったいろいろな神界の話をしてくれ」
 と、まぁ、これがイキミタマ宮司との神秘対話の一部なんです。
 筑糸 なんとも奇妙な会話ですね。
 金井 イキミタマには、何らかの方法で、所属神界内で起きた事件は報らされることになっているんです。すべてお見通しなんでね、さきほども申しましたように、もしも頂上をきわめたような行者がいたならば、頂上まで行って頂上に立つ神とウケヒしたということがわかっただけで、麓ではもうお祭りして迎えるわけですよ。
 武田 今の金井先生とイキミタマさんの会話なんですが、場合によれば厳島神界の全軍を相手にして闘うつもりでおられた、というのは、いったいどういうことなんでしょうか。金井先生は神様と戦争が出来るんでしょうか? また、いったいどういう目的で厳島へ行かれたのか、神様が役の小角や弘法大師と比較されたぐらいお先生のことだから、何か秘められた目的が・・・。
 金井 ハッハッハッ、それはまた、おいおい話しましょう。今はイキミタマとはどんなものか、ちょいと実例を申し上げたまでで・・・。

薄情なのは、見込みの無い者に対する態度。
金井南龍師は、「役の小角や弘法大師」よりもずっと格上。
しかし、我々とは立場が違う。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160905#1473071764
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160827#1472294486

#神試し

時の旅路にて とある「封印」を解いた男

金井南龍(かないなんりゅう)という古神道の行者が出てきます。
彼は、菊理媛を「埋没させられた神」として位置づけて、その封印を解くために実際にそれを白山の頂上で行ったようです。
なんでも、山頂にある奥宮で、神が宿るにふさわしい「生き石」を探し出しそれをサークル状に並べて、供え物をし、祝詞を奏上してからその中心に錫杖を突き立てたそうです。
根の国に押し込められていた菊理媛に届くような霊的な穴を開き、そこから解放を試みたと・・。


そして彼は、菊理媛と侍神がお付きの者を従えて浮上したのを見たそうです。

一方で南龍は、
倭姫や豊鋤入姫が行ったとされる「国まぎ」について語っているようですが
彼いわく、
その巡行地を結ぶと神聖幾何学に基づく幾何学模様ができ、
ひとつの結界を形創る、
それは「光の壁」「防壁」となって守護の役目を果たす・・・と。
この巡行地の終点は伊勢。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160908#1473331257