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一汁一菜 - Wikipedia

例えば、禅寺の食事が一汁一菜の食事を守っており、禅僧たちは一汁一菜の質素な食事でも、寺の仕事と修行をたっぷりこなし、さらに病気にかかりにくく長寿をまっとうするという。

江戸の長屋で暮らしている人々の場合、暮れ六つ(日没=午後6時ごろ)に男性が帰って、湯屋に行って湯を浴び、それから食事となり、一汁一菜、ないしは一汁二菜と香の物程度を食べたといい、おかずとしては夕鯵(ゆうあじ)と言うように、夕方に魚河岸にならんだ新鮮な鯵やこはだが喜ばれたという。


ただし庶民にとっては一汁一菜も日常の食事としては贅沢なものであり、通常は「おかず無し」、つまり、ご飯・汁・漬け物のみというのが日常の食事スタイルであった人も多いともいう。玄米で食べれば米は完全食であり、味噌汁で大豆蛋白を補えば栄養学的にはそれで充分なのである。一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ…… ほめられもせず 苦にもされず そういうものに私はなりたい、と宮沢賢治も言っている。重労働をこなしていた時代には米を大量に食べてカロリー源とするのみならず、タンパク質も米から摂取していた。比率は多くはないものの人間にとっての必須アミノ酸がバランス良く含まれ、米はタンパク質の補給源としても秀れた食品であり、米のみで人体を維持するに十分なカロリーとタンパク質は得られるのである。


江戸時代には上杉鷹山池田光政が人々に倹約のために食事を一汁一菜にするよう命じたことが知られている。松代藩のように「おかず禁止令」を出して徹底した倹約を図った藩も存在する。二宮尊徳も奉公先の小田原藩家老服部家を立て直すにあたって、おかずを禁止している。

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