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【第27回】

 販売が開始されると、2社が競争で売っているというので評判となり、大変な人だかりとなった。

 後に“四条河原の決戦”と呼ばれ、ワコールの伝説となるこの勝負、結果は売上高ベースで5対1。和江商事の圧勝に終わった。

 “四条河原の決戦”の2ヵ月後、難波にある高島屋大阪店(実質的には本店なのだが、彼らは大阪店あるいは大阪支店と呼んでいた)が地下に大きな売り場を完成させ、そこに「ニューブロード・フロア」と名づけたスペースを作ることがわかった。またもチャンス到来だ。


 幸一はここでも機先を制しようとした。自ら高島屋大阪店に乗りこんで納入交渉を開始したのだ。


「あっちは格が違うよ」


高島屋京都店の花原部長は、そう忠告しながらも、彼のために推薦状を書いてくれた。

高島屋の伊藤課長は後年、幸一との出会いについて記した文章を残している。幸一の熱のこもった売り込みが鮮やかに描写されており、やや長文だが引用してみたい。


 〈昭和二十五年秋、私が大阪支店の袋物、婦人子供洋品仕入課長をしていた時、私のところに見るからに精悍そうな一人の青年が訪ねてきた。女性下着を売らしてほしいと云うのである。当時、私達のところではニュールックさんといったところと取引関係にあり、「和江商事」さんなど私の頭の中にはなかったのであるが、この青年は私のデスクの前に坐るなり、自分の生立ち「和江商事」設立のいきさつ、「和江商事」の商品の優秀性、女性下着の将来性などについて、真剣に、誠意をこめて話出したのである。私は机の上に並べられたブラジャー、コルセットの見本には目もくれずひたすら相手の澄んだ黒い瞳に注目をしながら、この青年の話に耳を傾けていたのであるが、とうとうと述べるこの青年の話の中に、商売に打込もうとするひたむきな気迫と若い情熱が感じられた。延々と続いた話が二時間にもなろうとする頃、私の胸の中に何か強い大きな絆のようなものが出来上り、がっちりと彼の胸の中につながれていくのを感じ「この男なら間違いがない、商品も立派だし、確かに女性下着はこれから伸びる商品である」と確信し、即刻取引を結んだのである〉(『ワコールうらばなし』)

「ニューブロード・フロア」オープンセールの結果は“四条河原の決戦”の再現でしかなかった。和江商事の圧勝である。

 今度は人手が足りない。一時は乳飲み子だった能交や真理を抱えた良枝が店番として大阪の出張所に通う有様だったが、ちょうどその時、いい人材が見つかった。


 幸一の母方の遠縁にあたる奥忠三である。


満州からの引き揚げ者だった彼は、平壌ピョンヤン)の三中井百貨店で支配人を務めた経歴を持ち、なかなかの商売人だった。それを見こんで大阪出張所長を任せてみると、幸一の期待に見事こたえてくれた。


 百貨店の内部事情に精通している彼は、そごうや大丸といった大阪に本店を置く有名百貨店でも物怖じすることなく入り込んでいく。仕入れ担当者を夜討ち朝駆け、瞬く間に攻め落としていった。


 そしてついに、難攻不落と言われた阪急百貨店との取引も開始されようとしていた。


 時と人の利を得て、この昭和26年から翌年にかけての販路拡大は、和江商事の大きな飛躍につながった。

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