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 上総請西(かずさじょうざい)藩林家の当主林忠崇(はやし・ただたか)は、ペリー来航の五年前、嘉永元(1848)年に生まれ、譜代としての筋を通して薩長軍に徹底抗戦し、昭和十六(1941)年、満九十二歳で没した。


 昭和十六年といえば大東亜戦争が勃発した年であり、私の生まれる僅か五年前である。江戸時代と私との時間距離も、せいぜいそんなものであったといえるのだ。

 私は、一連の著作に於(お)いて、史実に忠実に従えば、明治維新とは民族としての過ちではなかったかと問いかけてきた。


 これは、一度国家を壊しながらも今もなお政権を維持している薩長政権に対する問いかけでもある。
 もし、明治維新が過ちであったとすれば、その最大の過ちが直前の時代である江戸を全否定したことである。或いは、少なくとも江戸を全否定したことだけは、明白な過ちであったといえるのではないか。

 明治近代政権が何といおうと、脈々とその政権の意思を受け継ぐ者が何と教えようと、江戸は確かに存在したのである。


 それも、政権がいうような姿ではなく、全く違った独自の姿かたちで存在したのだ。
 文明開化の大合唱と共に彼らが尊崇した西欧システムが明らかに破綻しつつある今、土中から芽吹いてきたものがある。


 そして、「近代」という価値を誇り、文明開化を売りつけた西欧社会そのものが、芽吹いてきたものに「近代」以上の価値を見出し、それを「よすが」としてこれから先を生きようとしているように見受けられるのだ。その芽の根が「江戸」という「近代」とは異質の価値であることは疑うべくもないのである。


 是非はともかく、また目的は別にして、社会を変えようとする時、既成のもの=エスタブリッシュメントを倒すことは当然であり、必然であるといってもいい。

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