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『数学序説 (ちくま学芸文庫)』

P239

そこで,ヒルベルトは,点や直線を ‘定義’ する必要がなぜあるであろうか,と反問する.点や直線を定義しないで,単に ‘あるもの’ としておいても原論の議論がそのまま成り立つのであるならば,それはかえって良いことではあるまいか.そのように,定義されてはいないが,しかし幾つかの命題ーー 公理,公準ーーを満足する ‘あるもの’ についての形式的な議論ができているならば,もしここにそれらの命題を ‘実際に’ 満足する具体的なものがあらわれた場合,そっくりそのままその議論がそれに対してあてはまるはずであるから,かえってそのほうが議論が一般的になるのではないか,と言うのである.
 われわれは,
      人間は死ぬものである.
      ソクラテスは人間である.
という二つの命題が与えられた場合, ‘人間’ とはいかなるものか, ‘死’ は何か,また ‘ソクラテス’ とはどういう人物か,ということを全然知らなくても,ただ,それらのものが上の二つの命題を満たすことを認めさえすれば,必然的に
      ソクラテスは死ぬものである.
と言う結論が導かれることを知っている.これとまったく同様に,定義を与えない対象に関するいくつかの命題を真なるものとして見なして出発するとき,いったいどれくらいのことが必然的に出てくるか,ということを追求するのが数学の本領ではないか,とヒルベルトはいうのである.

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