「法律学を学ぶということは、法律に関する知識を得るだけでなく、その知識を、実際に生じる具体的な事件に適用し、解決する技術を身に付けることを意味する。…法律の知識を持っているだけでは、職業的な法律家として活動することはできない。」(松井茂記/ブリティッシュ・コロンビア大学教授)
— 司法試験・論文を書くコツbot (@shiken99) 2017年6月12日
LS生の皆さん、一般論として、いわゆる論点主義に陥ると今の司法試験では苦労します。求められるのは、事案解決力。事案解決力を養うには、まずは条文。そして何より、実戦的な演習。演習を先送りにすればする程、合格は遠のく。特に、過去問演習はできるだけ早く始め、繰り返し行うことが大事。
— 原孝至(弁護士・辰已専任講師) (@TakashiHara1) 2017年6月12日
(続き3)アナロジーというのは,要は自分の知っている領域と類似している未知の対象領域に対して,既知の知識を応用して未知の領域の知識を得るという思考法のこと。特に科学の分野ではよく使われていて,リーマン予想という数学の問題に突破口を与えたのは,原子核物理学の知見だった,とか。
— 弁護士 井垣孝之 (@igaki) 2017年6月12日
(続き6)私が書いた『37の法律フレームワーク』もアナロジーを使っていて,もとはビジネスで使うフレームワークという「発想」を法律学に応用できるのでは?と思ったのがきっかけ。なお,それに気づいた瞬間は野田先生に刑訴の過去問を添削してもらっていて,今でも鮮明にその光景を覚えている。
— 弁護士 井垣孝之 (@igaki) 2017年6月12日
(続き8)ローでは学者教員が教えることが多いが,学者にとって法律は課題解決が主たる目的ではないし,普段からそのような使い方はしていない。同じ法律でも,それをどう使うかで認識の仕方は全然変わる。法律を実務での課題解決という目的に適合させる形に変換したのがフレームワークともいえる。
— 弁護士 井垣孝之 (@igaki) 2017年6月12日
(続き9)あとローで問題だと思うのは,学際的な観点はおろか,科目間のアナロジーすら拒絶しているように見える点。民法と民訴の教授ってどこも仲悪くない?民法わからないと民訴わかるはずないやん。刑法と刑訴,行政法と民訴なども同様。司法試験は各科目の試験じゃなくて「法律学」の試験やで。
— 弁護士 井垣孝之 (@igaki) 2017年6月12日
(続き11)こんな風に,ある科目の用語を他の科目の用語を使って説明すると,頭の中でいろんなことがつながって法律の勉強がめちゃめちゃ面白くなる。ローではこういった指導をすべきだと思うんだけれど,誰も話を聞いてくれないっぽいので自分でコツコツと講座を作ったりしてるわけだ。
— 弁護士 井垣孝之 (@igaki) 2017年6月12日
俺が算命学の勉強を始めたのも「ある程度フレームワークが確立されていて、法律学、IT、経営といった今まで自分がやったことがない分野の勉強をする」というのが目的。「アナロジー思考」にもあるとおり、アナロジーは全く違う分野からしか生まれないので、意図的にそういうジャンルを選択している。
— 弁護士 井垣孝之 (@igaki) 2017年6月12日
勉強してからわかったことだけれど、算命学は、社会の循環とその中で生きる人間の循環を三次元的に説明することを目指す学問なので、社会や人間がどんな性質を持っていて、その性質がどのように変化していくかという事象に対するフレームワークがある。迷ったときの方針を決めたり予測にとても便利。
— 弁護士 井垣孝之 (@igaki) 2017年6月12日
「所詮占いでしょ?そんなの勉強するなんて怪しい」なんて考えちゃう人は、一生アナロジーの恩恵を受けることはないだろう。別に占いに限らず、「うちの業界は違うから」「うちの会社は違うから」といって異なる存在を拒絶した瞬間、アナロジーによるセレンディピティの契機は永遠に失われる。
— 弁護士 井垣孝之 (@igaki) 2017年6月12日
学部とローで見えてきた、科目間のアナロジーが面白くて研究の道を選んだので、複雑な心境である。 https://t.co/7yMzWOGNWA
— ぱうぜ (@kfpause) 2017年6月12日
[民法]「一見無味乾燥に見える抽象的な条文の文言に刻まれた規範が、当事者の取捨選択した条文の要件と効果を経由して、裁判所の判断に具体化していくプロセスを知るためには、判例を事実関係から丁寧に読み込んでいくことが不可欠です。」(小山泰史/上智大学教授)
— 司法試験・論文を書くコツbot (@shiken99) 2017年6月12日
【新刊情報】「事案をひもとき,その判旨がどのように構築されたのか,さらに他の判例との関連や学説の展開まで鋭く分析」〈判旨〉から読み解く民法 [ 水野 謙 ] [楽天] https://t.co/scNDcjQQts https://t.co/CmSsE8JdpW
— 司法試験・論文を書くコツbot (@shiken99) 2017年6月12日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170612#1497264099
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170612#1497264102
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170612#1497264103
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170612#1497264104
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170612#1497264105
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170612#1497264106
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170608#1496917929(この自発的対称性の破れの考え方を素粒子に適用した南部陽一郎がノーベル賞を受賞した。)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20151222#1450781122(アナロジー思考)
#勉強法
佐藤優を斬る──なぜ佐藤優はデタラメな議論をしているのに評価が高いのか | 語り部のほとりで
佐藤優の議論のほとんどは、持ち前の知識や教養を、何の関係もない社会現象や事件と無媒介に結びつけて論じただけのデタラメである。
佐藤優は議論だけではなく、その知識や教養もデタラメである。きちんと本を読んでいれば絶対にしない誤解や誤りを書いているからである。
「知識の誤りは誰にでもある」「些細な誤りにすぎない」と佐藤を擁護する人が多いが、的外れな擁護である。佐藤の議論の誤りは知識ではなく思考法にあるからであり、看過できない本質的な誤りだからである。
類推適用(るいすいてきよう)とは、法解釈技術の1つであり、ある事柄に関する規定の背後にある趣旨を別の事柄についても及ばせて新たな(明文のない)規範を発見ないし創造しそれを適用するものである。そのような趣旨のことを「類推の基礎」という。そして、そのための解釈技術を類推解釈(るいすいかいしゃく)とよぶ。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170604#1496573510(彼らは、『国家』における「哲人王」と同じく、幾何学・天文学を含む数学諸学科などの予備学を修めた上で、雑多なものから一なる形相(イデア)を導き出していく能力を養われ、また、諸天体が神々の「最善の魂」の知性(ヌース)によって動かされていることを理解して「敬神」の心を持ちつつ、国制・法律の目的である徳・善を追求・護持していける者であることが求められる。)
「ひるおび」のチャートが分かりやすい。焦点はもはや文書の存否より、内閣府(藤原審議官)が「総理のご意向」なる表現を使ったのか、使ったとすれば総理(周辺)からの指示はあったのかどうか。いずれも内閣府や官邸側を調査しなければ分からないことばかり。 pic.twitter.com/vESVtLT3DI
— 冨永 格 (@tanutinn) 2017年6月13日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170426#1493203208(ダイアグラム)
ブロック・ダイアグラムは、主に法廷技法としての性質を有し、要件事実のみを記載する設計図であるが、訴訟に精通していない者が要件事実のみを直接に抜き出しブロック・ダイアグラムを作成することには多大な困難が伴う。
Martial Alchemy -- ネコ跨ぎ Blog (=^..^=) : ブロック・ダイヤグラム至上(原理)主義な「司法研修所編・改訂問題研究要件事実」(法曹会)
【コラム:数学者的思考回路】(1)数学書の読まれ方 https://t.co/8UpFbErWtv
— 山田久美 (@kumiyamada) 2017年6月13日
要点をくっきりと描き出したい.ならクドクド書かず,重要な点だけを簡素に明確に表現しよう,あとはその繋がりをこれもなるべくアッサリ表しておこう,となってくる.書き手のそんな意識が全体に行き届くと,本は高密度になって読むのが遅くなる.整理簡約の道のりもそれなりに追体験して納得しないと,分かった感じにはなれない.また,そういう本では不必要なことはほとんど書いていないということにもなるので,キチンと隅まで理解したい場合は分からない箇所を残すわけにいかない──ということで,分からない箇所を潰していく作業が必要で,それを気長に根気よくやる.
基本的に何かしらを無難に解説しても、研究にはならない。だから、現在進行形の事象について語る時も常に何かしら、これまでの知見とは違うものを見つけ、その部分に集中して議論している。従って自分の時事解説はバランスが悪いし、わざとバランスの悪いものを出している。研究は教科書執筆とは違う。
— Kan Kimura (on DL) (@kankimura) 2017年6月12日
だからこそ、自分にとって教科書を書いてくれる人や、当たり前の事を当たり前に解説してくれる人は有難い。そういう人がメディアで解説したり、政策アドバイザーをするべきだと思う。当たり前のこと当たり前に説明するのは、ある意味誰でもできるので、自分にとっては、一番やりたくない仕事である。 https://t.co/aPZGmfGT5P
— Kan Kimura (on DL) (@kankimura) 2017年6月12日
教務関係委員の責務として、同僚の講義や演習をレビュー(参観)している。で、思ったのだが、ひょっとすると俺の講義や演習、めっちゃ変わってるんやなかろうか。
— Kan Kimura (on DL) (@kankimura) 2017年6月13日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170606#1496745344(難しい事を難しくしか言えないのは、その人が何も理解してない証左に過ぎない。)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170605#1496659173
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20110816#1313500776
#政治学者
「当然のことだが、論文試験でも問いに答える姿勢がなければならない。すなわち、「請求できるか」と問われれば「請求できる/できない」と答えなければいけないのだが、意外とできていない受験生が多い。」(弁護士)
— 司法試験・論文を書くコツbot (@shiken99) 2017年6月13日