組織の歯車のなかでギリギリと押しつぶされることを恐れるならば、多少の風当たりはあったとしても、オーナーシップをしっかりと保持したほうがいいのです。 - 「面倒見のよい上司」は 必ずしも「よい上司」ではない https://t.co/yyDW2kqtXt
— ダイヤモンド・オンライン (@dol_editors) 2017年10月7日
むしろ、「自分の意思」を捨てるほうがよほど恐い。
なぜなら、上司や関係部署、同僚から相矛盾する意見が出たときに、立往生してしまうからです。あっちを立てればこっちが立たない。そんな板挟みになって身動きが取れなくなるという結果を招くのです。もちろん、担当した仕事は迷走を続け、質の低いものにしかならないでしょう。
結局のところ、「自分の意思」がなければ、「子どもの使い」にしかならないということ。組織の歯車のなかでギリギリと押しつぶされることを恐れるならば、多少の風当たりはあったとしても、オーナーシップをしっかりと保持したほうがいいのです。
そもそも、周囲の人に振り回されるだけの人生など、つまらないではないですか。若いころは、オーナーシップを保持するがために、組織内でぶつかり合うようなこともあるかもしれませんが、それもリーダーシップを鍛える重要なプロセス。そんな若者のほうが、将来、大きく成長するものなのです。
あのとき、上司が助け船を出してくれていたら、私はどうなっていたでしょうか?
たしかに、現場の混乱は簡単に収束したかもしれない。しかし、それは上司の力であって、私の力ではありません。そこには、自らの力でなんとかすることによって得られるはずの「成長」もなければ、困難を乗り越えた「達成感」もない。そして、自分は問題を解決することができるという「自信」も育たないのです。
その意味で、「面倒見のいい上司」が必ずしも、部下のためになるわけではないと言うこともできるでしょう。
もちろん、上司は部下の仕事に対して責任がありますから、いざというときにはカバーする必要がありますし、部下が精神的に折れないように十分に配慮しなければなりません。しかし、部下がちょっと困ったら、すぐにしゃしゃり出て「助け船」を出すのは弊害も大きい。部下のオーナーシップを損ねてしまうからです。「過保護」の上司は、部下を殺してしまいかねないのです。
難しいのは、上司が助け船を出す一線をどこに引くかです。
これは、部下のメンタルの強弱、実力の有無、置かれている状況によって異なりますから、まさにケースバイケース。繊細な目で状況を観察しながら、「部下を守る」という使命と、「オーナーシップを育てる」という使命を、どこでバランスさせるかを考えるほかないでしょう。
ただ、部下の苦境を見て見ぬふりをするのは論外ですが、ときには、部下の限界を少し超えるくらいの負荷がかかっている状況において、「助けてやりたい」という思いを我慢する勇気は必要です。それが部下のオーナーシップを鍛え、優れたリーダーを育てることに繋がるからです。