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思うに私は、価値のあるものはすべて独学で学んだ。


―― チャールズ・ダーウィン

重要なのは「覚えること」を目指さないこと

 恐らく多くの人は、「高い知的戦闘力」をそのまま、「膨大な知識量=知的ストック」と紐づけて考えると思います。しかし、一方で「覚える」ということはインプットした情報を固定的に死蔵させるということでもあります。一度インプットした情報が、長い年月にわたって活用できるような変化の乏しい社会状況であればこの独学法は機能したかもしれません。


 しかし、現在のように変化の激しい時代であれば、インプットされた知識の多くが極めて短い期間で陳腐化し、効用を失うことを前提にして独学のシステムを組む必要があります。


「覚えないこと」を前提にした上で独学のシステムを構築する際、カギとなるのは「脳の外部化」です。一度インプットした情報を自分なりに抽象化・構造化した上で、外部のデジタル情報として整理しストックする。


 つまり、いったん脳にインプットした情報は、エッセンスだけを汲み取る形で丸ごと外に出してしまうわけです。


 汲み取ったエッセンスをストックする場所はフリーアクセス可能な外部のデジタルストレージであり、脳のパフォーマンスは、あくまでもインプットされた情報の抽象化・構造化にフォーカスさせます。そうすることで「覚えること」に時間をかけずに、知的戦闘力を向上させることが可能になるわけです。

 中世において、「知識」とは教会の図書館に収蔵されている書籍にインクで書かれている情報でした。この「知識」を獲得するためには、当時、極めて貴重だった書籍へ物理的にアクセスすることがどうしても不可欠だったわけですが、そのような立場にある人はごくごく少数であり、その少数者は、「情報にアクセスできる」というその立場ゆえに大きな権力を持つことになりました。


 つまり、この時代において「知る」ということは、物理的に本を読み、知識を頭の中に蓄えることだったわけです。これは現在においても、私たちの多くが「知る」という言葉についてイメージする行為そのものと言えるでしょう。


 しかし今日、あらゆる知識はフリーアクセス可能なインターネット上に存在するようになりつつあります。私たちは、自分の脳の海馬に記憶された情報にアクセスするのと同じように、インターネットという巨大な「グローバルブレイン」に、いつでもアクセスできる世界に生きているわけです。


 そのような世界において、「知る」、つまり知識を情報として脳内にストックすることの意味合いについて再考すべきときが来ている、とネグロポンテは言っているわけです。