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村上春樹さんは、自身が所蔵する著作の生原稿や作品への書評、それにレコードのコレクションなどといった創作に関する資料を母校の早稲田大学に寄贈することを申し出て、4日、大学の鎌田薫学長らとともに記者会見に出席しました。

村上さんが国内で記者会見の場に姿を現すのは37年ぶりだということで、終了後、2冊の本を手渡す様子などの写真撮影が許可されました。

会見で村上さんは、「かれこれ40年近く小説家としてものを書き、生原稿や資料や書簡などがいっぱいたまっています。僕には子どもがいないので、僕がいなくなった後にそういうものが散逸すると困るなと思っていました」と寄贈を決めたいきさつを語りました。

早稲田大学は、来年度以降、順次、資料の寄贈を受ける見込みで、国内外の学生や研究者が村上さんの資料を参照できる国際的な研究拠点を学内に設けることを検討しているということです。

これについて村上さんは、「最初は『村上春樹記念館』にしようという案もあったんですが、まだ死んでいないので」と冗談を交えながら、「自分は翻訳によって育てられてきたという意識がとても強くあり、日本文学の中だけにとどまっていたら、窒息状態になっていたかもしれません。そういう意味で、この場所が文学や文化の風通しのいい国際交流の場になってくれればいいなと願っています」と思いを語っていました。

村上春樹 - Wikipedia

1949年、京都府京都市伏見区に出生する。父千秋が甲陽学院中学校の教師として赴任したため、まもなく兵庫県西宮市の夙川に転居。父は京都府長岡京市粟生の浄土宗西山派光明寺住職の息子、母は大阪・船場の商家の娘という生粋の関西人で、「当然のことながら関西弁を使って暮らしてきた」。また両親ともに国語教師であり、本好きの親の影響を受け読書家に育つ。西宮市立浜脇小学校入学、西宮市立香櫨園小学校卒業。芦屋市立精道中学校[8]から兵庫県立神戸高等学校に進む。両親が日本文学について話すのにうんざりし、欧米翻訳文学に傾倒、親が購読していた河出書房の『世界文学全集』と中央公論社の『世界の文学』を一冊一冊読み上げながら10代を過ごした。また中学時代から中央公論社の全集『世界の歴史』を繰り返し読む。神戸高校では新聞委員会に所属した。

1年の浪人生活ののち、1968年に早稲田大学第一文学部に入学、映画演劇科へ進む。在学中は演劇博物館で映画の脚本を読みふけり、映画脚本家を目指してシナリオを執筆などもしていたが、大学へはほとんど行かず、新宿でレコード屋のアルバイトをしながら歌舞伎町のジャズ喫茶に入り浸る日々を送る。