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 これは、国立大学に任官して20年ほどになる1教員の個人的な印象に過ぎませんが、日本の大学入試、特に記述式の国公立大学入試は、官僚業務で避けることのできない、この短期集中時に、適切な判断を確実に下す能力を問うているのではないか、と思っています。


 国公立大学は「官学」すなわち、明治以降の近代日本国家において、官僚を中心とする中核業務を担える人材を選別するために設けられていることにも注意しておきましょう。

 残念なことですが、日本の大学入試は「選別」試験になってしまっています。微妙に「選抜試験」と違うニュアンスを持っている。


 すなわち、大学入試に「合格」すれば、それで「選別」が済んでしまう。

 さてはて、でも、世の中のホンネとしては「あの東大入試に合格してはるんやから、それなりに能力のある人なんでっしゃろ」というところで、人事考査などしておられるのではないか?


 すなわち、大学で何かを学んでくる、という期待は、医師であるとか、あるいはIT、バイオ、ナノテク、その他、AIでもセンサでも何でもいいんですが、特化した専門があるものについては例外的に検討するとしても、一般的には「**大卒(あるいは中退)」といった肩書きの部分で、8割方思考がストップしているのではないか?


 もちろん、人事には建前も本音もあるでしょう。もろもろの事情、要素があるにせよ、官学の人材<選別>という観点で入試という日本の民俗行事を観察すると、受験生にとって役に立つ「テクニック」が見えてきたりもします。


 私は基本、「受験をクリアするテクニック」と称するものに、徹底して批判的です。枝葉の方法のようなもので受験だけごまかして、まかり間違って合格などしてしまっても、その先伸びる保証は全くない。


 仮に受験勉強といっても、学芸の本質に結びつく、筋の良い教育と方法以外は、決して身につけるべきではない。むしろそんなことをしてしまうと、後々伸びなくなる原因を作るだけになったりもする。


 かく言う私が「方法」というのは、以下に記す方法はすべて、受験だけで御用済みとはならず、一生涯使え、仕事ができるやつである、との評価を周囲から得るのにも役立つ、ライフロングのノウハウだからにほかなりません。

 そういうときには「メモ魔」になることをお勧めします。ともかく書く。自分の手を動かして書き、書いたものを、仕事机のひと目で見渡せるところに置いておく。具体的には「貼っておく」。

 試験も同様に思うといいでしょう。問題冊子を開くと、初めて見る問いが記されている。それを目にした瞬間から、重要と思うことは片っ端から、文字として見えるようにしていく。


 問題文の余白部分に、私が受験生ならメモを取っていきます。


 主語や述語のあるセンテンスである必要はない。問題文から取材できる本質をすべて自分なりに噛み砕いて抽象化して、それを元に回答していけばよいであろう、指針のようなものをかたっぱしから書いていく。

もう1つの「受験勉強」のコツ、日頃からの精進のポイントも、この一点に尽きています。


ノートを作ること。


 この場合のノートは、必ず紙と鉛筆であること。ノートとシャープペンシルでもかまいません。PCだけを使ってというのは絶対に勧めません。それで失敗する例を末尾に記します。


 数学や理科など、計算があるものは、PC上で面倒くさい書式で時間を潰すべきではないでしょう。すべて、書く。


 もっと言えば「一度きちんと理解して書いたものは。必ず自分の内側に残る」くらいの確信を持ちながら、ノートを作るのがよいでしょう。


 当然、理解が浅いところや、分かっていないところでは止まる。


 時間のないときには、そこは「飛ば」せばよいのですが、この際、「自分はどこまでは分かっており。どこから先を分かっていないか」を明確化できていれば、半分解けているのと同じですから、無用に思い悩み過ぎなくてよい。


 時間がないときは「次行ってみよう!」でさくさく流していく。


 木を見て森を見ず、一箇所にくよくよしすぎて全体を損ねぬこと。とはいえ、一枚の木の葉でも、ウイークポイントがあれば、それはそれとして認識しておくこと。

 受験は、残念なことですが、現代日本では非常に数少ない「若い人が真剣に取り組むデスクワーク」になっています。

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