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例えば科学史の伊藤さんは,伊東俊太郎先生とか,村上陽一郎さんの世代に東大で教育を受けた人だが,あの世代の学問のやり方はもう不可能だという意見だ.そのころなら書けた,また,石田さんのお父様も書いている,古代から現代までを貫くような通史は,もう誰にも書けないというのが,伊藤さんの意見だ.


これは僕にも良く分かる.科学史研究でも一次資料を駆使した精密な研究が当たり前になっているから,通史など書いたら,各所でボロがでてしまう.

で,今日(物理的には昨日),偶々,科学哲学の伊勢田さんと関連した議論をした.最近,よく学者・研究者ではない,マスコミ関係の「博識」の著者を,マスコミが「知の巨人」として持ち上げることがあるが,僕らからみたら,そういう有名人は「飛んでいた」上の世代の学問と比べても,月とすっぽんくらいちがう.伊東先生などはラテン語(だったかな?)文献の研究など,海外でも通じる本物の学問をして,かつ,ポピュラーなものも書かれていたわけなので,その背景知識の豊かさや確実さが,日本のアカデミズムでさえ通用しない「巨人」たちとはわけが違う.


大学人にも同じような人がいて,たとえば,中沢新一さんの田辺元の本など,読み物としてはおもしろいが,これが僕の学生の卒論原稿だったら「文章はうまいね,でも,学問てそういうもんじゃなくて内容なのよ」といって留年させるだろうというレベルのものだ.良くてノンフィクション風,フィクション.田辺のテキストを全然読めていない.というか,読んでないのだろう.田辺を利用して,自分の考えを書いているだけなのだが,それをあたかも田辺が主張していたかのように書いている.しかし,実際に田辺が言っていたことは,中沢新一さんが書いていることとは全く違う.

そういえばマスコミにでる人は,共通して「謙虚」なところがありますね.
高橋さん以外にも,郡司さんとか,茂木さんとか「謙虚」な感じの人でした.
ただ,これは学者・研究者としては,決して良いとはいえない.
「このヤロー,糞生意気な!」と思って攻撃しようにも,その学問の凄さに
歯が立たない.そういう人の方が本物だ.「良い人」を売りにする学者は,
最初から学者としては逃げているともいえる.

しかし,現在の「方法論が進化し,精度を増した人文研究」は,
そういう「ロマン」を許さない.ある意味では,自然科学以上に,
地道な研究分野といえる.本物だと,そういう重箱の隅をつつくような
研究から,あっと驚くような飛翔が起きる.Google の村上さんに
紹介した社会学の本を読んで,村上さんは「学者というものは,
ご苦労様なものだ」と言っていたが,そう言われるほどの研究でないと
本物とはいえない.その上でようやく飛翔ができるし,そうやって起きた
飛翔は,研究主体の「思い」を超えるので,「思い」から発するもの
(たとえば,中沢田辺論)などを遥かに超える力を持つ.


しかし,残念なことに「教養主義」が理系の学生にも文系の知識を
植えつけることに貢献していた時代は去り,全共闘世代以下の
理系の文系的素養は実に悲惨.(僕だって,割と最近まで,
平均以下だった.)だから,なかなか説明を伝えられない.
伊勢田さんによれば,これらのことの原因は,歴史的には,
大学紛争があるといわれているとのこと.確かに....

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#科哲#謙虚#深見東州#稲盛和夫