1)「消費」についてのこの記事が最近感じていたことにつながった。大学に通いながらずっと自分は何を目的として勉強しているのだろう、と悩んでいた。最近少しずつ、自分の興味の方向が見えてきた気がして、関連する書籍を借りたりしていた。林晋さんもその一つ。https://t.co/FtipmpIFrU
— choloatier (@choloatier) 2018年1月25日
2)借りた本を読みながら分かったのは、そういった本を読んだり、それを理解するために他の文献を読むことは必ずしも最初から単純に面白いわけではないということ。村上春樹を読むのとはわけが違う。でも今は村上春樹を読むより、他の面白い小説を読むより、「何か」を理解したいと思っている。
— choloatier (@choloatier) 2018年1月25日
3)なんでそう思うのかよくわからなかったけど、それが林さんの言う「消費」でない「理解」ということかもしれない。そしてここで言う「理解」が先日の哲学講義(ジャ)の「超越」に対応するのではないか。
— choloatier (@choloatier) 2018年1月25日
#ジャニーズ#男性性
幸せを手に入れるんじゃない。
— 野口 (@noguchibot) 2018年1月25日
幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ
ミュージシャン、甲本ヒロトさんの言葉です。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180123#1516704867
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180123#1516704869
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180123#1516704870
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180123#1516704871
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180122#1516618258
小説を読むより、何かを理解したい、と書いたけれど、小説を読むことに全く興味がなくなったわけではなく、それがどう書かれているかということへの興味はある。
— choloatier (@choloatier) 2018年1月26日
例えば村上春樹と言えばその独特の文体で、あの文体は彼の発明だと思うが、彼自身がデビュー作において内容を成り立たせるための文体に悩んだと書いたその文体がどこから出てきたのか、なぜその文体でないと彼の小説は成り立たないのか、どこに自分(視点)を置いて書いているのか、はずっと考えている
— choloatier (@choloatier) 2018年1月26日
他の小説についても、それはとても興味がある。どこに自分(視点)を置いて書いているのかというのは、作者がどのようにその文章を小説として成り立たせているかを考える一つのポイントではないかと思う。
— choloatier (@choloatier) 2018年1月26日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20161014#1476441442
偽善・欺瞞を批判、激しさとやさしさ 西部邁さんを悼む https://t.co/VNqevi6L2h
— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) 2018年1月26日
私が西部さんと出会ったのは、もう40年以上前になる。若手の経済学者として東大に赴任された西部さんとは、毎週、ほとんど夜が明けるまで論じ、笑い、厳しく問い詰められた。私の大学院生活の後半のすべてがそこにあった。この濃密な時間のなかで、西部さんが絶えず問いかけたのは、生への覚悟であった。お前は何を信条にして生きているのか、それを実践しているのか、という問いかけであった。自らの信条も覚悟ももたぬ者が学問や研究などやって何になるのだ、というのである。
その西部さんが、社会に蔓延(まんえん)する偽善や欺瞞(ぎまん)の言説に我慢がならなかったのは当然であろう。どれほどの高名な学者であれ、社会的な著名人であれ、その言動の根底に偽善やごまかしを見いだせば、西部さんは容赦なかった。その意味で、彼ほど、権力や権威や評判におもねることを嫌った人を私は知らない。