Spoke to 19th US Sec. of Defense William Perry @SecDef19 - a man of great wisdom and a lively mind. Here he is talking about how we could all be vaporized by nukes if we don't deal with mistrust and suspicion that may lead to an accidental Apocalypse. https://t.co/Od9D8gmsYV pic.twitter.com/vCrlILAe3K
— SophieCo (@SophieCo_RT) 2018年2月16日
As new powers rise in the world, a new multipolar global balance is shaping up - but is it stable enough to prevent a great power conflict in the nuclear age? We ask former US Secretary of Defense William Perry.
現在はスタンフォード大学教授。黒船を率いて日本に来航したペリー提督は5世代前の伯父にあたる。
ジョン・F・ケネディ大統領時代、キューバ危機のもととなったソビエト連邦(ソ連)とアメリカのミサイル戦力差、すなわちミサイルギャップを解明する委員会に参加。米国の一般的な見解に相反して、米国のミサイル力がソ連に勝ることを明らかにした。あわや核による第三次世界大戦の一歩手前までいったキューバ危機を関係者の一人として間近に経験したことが「核なき世界」を目指す契機となった。
旧ソ連圏の崩壊に伴い、東ヨーロッパの安定が課題となった。NATOは東欧へ拡大しようとしていたが、NATO拡大に対して警戒感をもっていた新生ロシアの懸念を払拭することが必要だった。そのとき、ペリー国防長官は、NATO加盟の前段階としての「平和のためのパートナーシップ(PFP)」を推進した。その結果、ロシアのPFPへの参加を引き出し、ソ連崩壊後の東欧の安定化に成功した。
1994年、北朝鮮が実験用黒鉛減速炉からプルトニウムを抽出するぞと得意の瀬戸際外交を演じた際には、ペリー国防長官は徹底して外交的解決をめざしたが、軍事的な後ろ盾の必要も感じ、密かに北朝鮮の核疑惑施設への空爆、いわゆるサージカル・ストライクも検討させていた。このとき空爆の対象として検討された施設は、寧辺にある核燃料再処理施設、5メガワットの実験炉、使用済み燃料保管プールなどである。カーター元大統領を特使として派遣し、北朝鮮が核開発を中止するかわりに米日韓が中心になって2基の軽水炉を建設するという「米朝枠組み合意」が最終的な交渉結果となった。