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 友だちでいえば、安倍が敬愛する祖父・岸信介には、三輪寿壮という終生の友がいた。安倍が第一次安倍政権の発足を前にして著した『美しい国へ』を改めてひらくと、第六章に岸と三輪の間柄を書いた箇所がある。とてもいい文章なので紹介する。

《祖父の一高時代からの親友で、三輪寿壮という社会運動家がいた。労働争議関係の弁護士として活動し、一九二六年 (大正十五年)にできた日本労農党の初代書記長を務めた人物である。祖父と三輪は、目的は同じでも、そこにいたる道がちがった。三輪は目の前にいる貧しい人たちを救うために、弁護士として、また政治家として相談に乗り、運動した。しかし祖父の場合は、その貧しさを生み出している国家を改造しようとしたのである。》

 岸は、安倍が「あんなひとたち」と呼びかねない者とも通じ合った。三輪は社会主義者であり、戦前・戦後を通じて社会主義政党に参加する。岸はそんな三輪の死に際して、弔事を読む。また三輪との仲に限らず、戦後、社会党からも入党を誘われもする。「両岸」と言われたのはそれゆえであり、たんなるナショナリストに留まらないスケール感が、「昭和の妖怪」たるゆえんであったろう。

ふり返れば安倍はもともと厚労族でもあった。新人時代、党の外交部会と社会部会に所属していたのだ。前者は父・安倍晋太郎外務大臣だったからだろう。では後者は? となると岸の影響をここに見る。岸といえば安保改正だが、『美しい国へ』でも述べられるように、国民年金法、最低賃金法を成立させたのも岸内閣であった。これもまた「両岸」の証しである。

「偉大で強い家系に生まれた弱い人間」。作家・田中慎弥は直接話すなどした印象から、安倍をこのように評した(注3)。弱い人間だから「岸の鎧」を着る。しかしそうしてみたところで、それは「片岸」に過ぎなかったのだ。アベノミクスでは結局、向こう岸までカネがまわらなかったように。

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