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 哲学館によると、ノート50冊と考察メモ、リポート類などが2015年に東京都内の西田の遺族宅でみつかった。資料は哲学館に寄託されたが、傷みがひどかったため、奈良文化財研究所(奈良市)などの協力で修理。京大や金沢大と連携し、文字を書き起こし、読み解く作業を進めている。


 1911年に発表された「善の研究」は、西田が旧制第四高等学校(現金沢大)勤務時代に書いた講義ノートや論文がもとになったとされる。今回みつかったノートの中には、西田が京大で行った倫理学と宗教学の講義のために作成したノート8冊があった。

ノート77冊トータル154万字書いてわかった、メモの使い方と効能について | Kurashicom HR blog

自分の頭では覚えきれないことを書いていく訳なので、記録媒体としての効能は当然なのですが、単に効率的に検索性も上げて記録するのであれば、この世の中にはもっと良い方法がたくさんありそうです。(簡単に音声情報をテキスト化してもらえるし。)


それでもあえて紙にメモするという行為は、要点をまとめる力を養ってくれているような気がします。

私は大学で哲学を専攻していました。

哲学が好きだった理由は、世界のもやもやとしたことに対して、歴々といろんなすごい人たちが、「言葉」を使って定義付けしようとチャレンジしていて、世界の解像度が上がっていくような感触が持てるからでした。

そうすると、哲学のときに感じたのと同じように、思考が整理されていく、ぼんやりしていたものがピントがあってはっきり見えていく感覚があります。

頭の中のモヤモヤや、まだ形になっていないことを書きなぐって整理していく、というのはつまり、抽象的なことを言葉で捉えようとしているということです。

デトックスとしてのメモ

とにかくその時感じていること、心(頭ではなく)にあることをどんどん紙に書いていく感じです。

外に出しておかないと、ゴミファイルみたいに知らないうちに溜まっていって、CPU(思考)の動きがほんとに悪くなります。

紙とペンの方がところてん感があるんですよね。

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