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300年以上の歴史があるとされる「京都五山送り火」は8月16日の夜、京都市を囲む5つの山で火をともし「大」の文字や「船形」などを浮かび上がらせて、お盆に迎えた先祖の霊を送る伝統行事です。


明治の半ばごろまでは、ひらがなの「い」の文字の送り火も行われていたとされていますが、その後、途絶えて、正確な場所がわかっていません。


これについて京都大学霊長類研究所の正高信男教授は8日記者会見を行い、江戸時代の文献などを手がかりに調査を行った結果、「い」の文字の送り火の痕跡を発見したと発表しました。


場所は京都市左京区鞍馬二ノ瀬町にある、地元で「安養寺山」と呼ばれる山で、縦5メートル、横15メートルほどの人為的に地面を削った跡が3か所見つかったということです。


この痕跡は、現在の送り火をともす場所と形状が似ているということで、正高教授はここで「い」の送り火がともされていたとしています。


今回の発表について京都の伝統行事や祭りに詳しい佛教大学八木透教授は「信ぴょう性がある見解だと思うが、確定的なことはまだ言えず、引き続き研究が必要だ」と話しています。

送り火の「い」の文字の場所をめぐっては、京都大学の研究者が発表した場所ではなく別の山で行われていたと主張する研究者もいます。


京都精華大学小椋純一教授は、地元の住民の伝承などから、「い」の文字の送り火が行われていたのは京都大学の研究者が発表した山から南西に1キロほど離れた京都市左京区静市市原町の「向山」だと主張しています。


今回の発表について小椋教授は「20年以上たって新たな見解が出てくるとは思いもしなかった。向山が使えないときの代替手段として別の山を使ったのかもしれない。根拠があれば、それはそれでおもしろいので研究が進むことを期待したい」と話しています。