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 問題の本質は、登板回避の是非ではない。

 國保監督と、佐々木や佐々木と共に甲子園に行こうと大船渡に集まったナインとの信頼関係が、決勝の段階で完全に崩壊してしまっていたという強い疑念があるのだ。それは現場に居合わせなければ気づけない暗澹たる空気だった。

 國保監督の采配に、私が最初に疑問を抱いたのは、5月に岩手県九戸郡野田村で開催された春季岩手大会1回戦だった。この大会には、夏の大会のシード権が懸かっており、甲子園を目指す大船渡が、夏の岩手大会で花巻東盛岡大付属をはじめとする県内強豪私立との連戦をなるべくなら避けたいと考えるのは当然で、ナインにとっては軽視できない大会だった。

 相手は大船渡と同地区の釜石。國保監督は先発マウンドに、背番号「10」の和田吟太を送った。大船渡と釜石は練習試合も行っており、両校の実力差からして、控え投手の先発も十分に予想されたことだった。

 ところが、初回に和田が連打を浴び、4点を先制されてしまう。大船渡は2回に右翼を守っていた4番・佐々木が四球で歩くと、主砲の木下大洋に左中間に飛び込む2点本塁打が飛び出し、追いすがる。

 目を疑ったのは、大船渡が2対4で迎えた6回表1死一、三塁のチャンスの場面だった。國保監督は、前の打席で本塁打を放っていた5番の木下に送りバントを指示する。

 あえて強調しておくが、「1死一、二塁」ではなく、「1死一、三塁」である。定石なら強攻、もしくはスクイズだろう。それを三塁走者を塁上に足止めにしたまま、一塁走者を二塁に進塁させるためだけに、アウトをひとつ、献上したのだ。

 試合後、國保監督はこう振り返った。

「夏の大会の勝利を目指していく中で、1番、3番、4番、5番の4人に頼るのは苦しい。後ろの打者も活躍しようということで、ああいうこと(送りバント)になりました」

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