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 7月28日、張本氏はレギュラー出演する「サンデーモーニング」(TBS系)のコーナー「週刊・御意見番」で、大船渡佐々木投手の登板回避について、「最近のスポーツ界で私はこれが一番残念だと思いましたよ」と語った。

 張本氏は7月27日(土)公開の「週刊文春デジタル」のインタビューでも、「勝負は勝たなきゃダメなんだから。ケガをするのはスポーツ選手の宿命だもの」と答えていた。

 するとダルビッシュ選手は28日、自らのツイッターで《シェンロンが一つ願いこと叶えてあげるって言ってきたら迷いなくこのコーナーを消してくださいと言う》と発言。シェンロンとは人気のマンガ「ドラゴンボール」に登場するキャラクターで、何でも願いを叶えてくれる竜のことだ。

 このダルビッシュツイッターに対し、張本氏は8月1日(木)、「週刊文春デジタル」の取材にこう答えた。

ダルビッシュ? あの子はツイッターでべらべらしゃべりすぎるな、ありゃ。同じ球界だからちょっと厳しく言うけどね、男だったらあまりべらべらくだらんチンピラみたいなことしゃべらないで、ツイッターに書き込まないほうがいいよ。

 そんなことよりも自分のプレーをしっかりがんばって、いい成績残して、立派な家庭を作って、男としてやるべきなんだよ」

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「私も疲労を考慮して決勝でエースのイチローを抑え投手として温存していたが、結局、投げさせることができなかったのです」

 そう語るのはイチローの恩師で、甲子園春夏5回の出場を果たした愛工大名電高校元監督の中村豪氏(77)だ。1991年夏、エースだったイチローは愛知予選決勝で投げることなく東邦高校に敗れた。

「序盤に大量点を与えてしまい、イチローに登板させる機会を逸してしまった。今回の大船渡の決勝を見ていて、佐々木温存を決めた監督の意図もわからないではありません。ただ、私はずっと後悔している。あのとき、イチローに投げさせてやりたかった」

 中村氏は1978年に愛工大名電(当時は名古屋電気高校)の監督に就任。81年夏にはエース工藤公康(現・福岡ソフトバンクホークス監督)のノーヒットノーランなどの活躍で甲子園でベスト4。90年夏・91年春にはイチローを率いて甲子園出場を果たした。監督時代に14人のプロ野球選手を輩出した名伯楽だ。

「佐々木君が岩手大会の4回戦で12回194球投げたのは、絶対的なピッチャーが彼1人しかおらんかったからでしょう。それが決勝で影響してしまった。私も工藤(公康)のときにベスト4まで行ったときは、それまで3試合投げて彼の体がパンク状態だった。球のスピードも落ちて、相手チームの報徳学園の選手が『今日の工藤の球はキレがねえぞ』って円陣で話していたくらい。それでも交代させることはできず、結局、打たれてしまった。

 どうしても監督は1人に頼っちゃうと思うんです。いろいろ問題になっているけれども、私が監督だったら、やっぱり佐々木君をマウンドに立たせていたかもしれませんね。佐々木君の欠場を事前にナインに伝えなかったのも、監督は試合前に選手の気持ちを壊したらいけないと考えて、伝えなかったんじゃないですか」

 気温40度の猛暑に過密日程。現在の高校野球を勝ち残っていくには、絶対的なエース1人よりも、高い同レベルの投手2人のほうが圧倒的に有利だと主張する。

「160キロを超える球を投げる佐々木君でも、連戦の中で常にコンディションを整えていくのはなかなか難しい。近年は異常気象などで苛酷な環境下で連戦をこなさなければいけない。かつてとは気候環境がずいぶん変わったと思います。

 そんな中では、同じレベルのピッチャーが2人、3人いるチーム作りをしていかなければ、甲子園どころか地方大会も勝ち進めない。最近の甲子園常連校には、昔のように突出した1人のエースが投げて勝ち進んだチームはあまりいないでしょう。ほとんどの強豪校が継投で勝ち上がってくるのはそのためです」

 先日の高校野球愛知大会では、愛工大名電や中京などの強豪校を破り、ノーシードから誉高校が勝ち進み、甲子園初出場を決めた。やはり、勝因は“投手の分業”にあったと中村氏は分析する。

「左右のいいピッチャーが2人いて、8試合中7試合を5回と4回に分担して継投で勝ってきた。おそらく今年の甲子園は星稜の奥川(恭伸)君が注目されていますけど、彼だって5試合を1人で投げるというのは大変でしょう。そういう時代なんだよね。これからの指導者は大変だと思います。

 来春に導入される予定の『球数制限』を機に高校野球は大きく変わるでしょう。例えば100球前後で投げられるのは6回か7回。その後の抑えのピッチャーが1人か2人必要になる。しかし、頼れるピッチャーを2人育てるのは非常に難しいこと。ピッチャーは高校になってからできるものじゃなく、素材だと思います。いい素材をどうやって集めるかというスカウティングがテーマになってくる。

 今回の件で、夏の大会の時期や地方大会を前倒しして6月から始めたらどうか、という意見も出ているようですが、これは難しいでしょう。高野連が進めているのは、”教育としての高校野球”ですから。生徒たちは野球だけやっているわけではなく、授業がある。今後はますます”投手の分業制”を徹底していく時代になっていくはずです」

野球ファン以外の国民をも巻き込んで賛否両論の大問題になったが、私は故障でもないエースを決勝戦で温存した監督の判断には反対だ。間違っている。

報道によると、32歳の國保(こくぼ)陽平監督は決勝戦後、「投げられる状態ではあったかもしれないが、私が判断した。理由は故障を防ぐため。もちろん本人に『投げなさい』と言えば投げたと思うが、(連投によるダメージ、暑さなどを考えれば)この3年間の中で一番壊れる可能性が高いのかなと思った。私にはその(佐々木起用の)決断はできませんでした」と語った。

身長190センチで、花巻東高校時代の大谷翔平より速い163キロを投げた佐々木は、この県予選でそれほど疲労困憊(こんぱい)していたのか。

振り返ってみると、初登板の2回戦は先発2回で19球、中1日置いた3回戦は6回93球の完封でいずれもコールド勝ち。中2日置いた4回戦では延長12回を194球で完投したが、翌日の準々決勝は登板せず、2日間休養している。

そして7月24日の準決勝では129球を投げて完封、翌25日の花巻東との決勝戦は登板を回避して2-12で完敗した。

この間、4試合29回で計435球を投げ、9安打51奪三振自責点2で防御率0.62。つまり、1984(昭和59)年以来35年ぶりに悲願の甲子園をめざしたエースにしては休み休みの登板で、初めての連投となる決勝戦を「故障の恐れがあるので登板回避」したことになる。

私も県立呉三津田高校のとき、甲子園にあと一歩の決勝戦で惜敗した悔しい経験がある。昔から高校生はみんな甲子園をめざして練習に励み、過酷な試合を勝ち抜いてきた。

その夢が目の前にぶら下がっている試合に、エースの将来を心配して登板させないのはおかしい。もちろん監督が、選手の体と将来のために万全の配慮をするのは当然だ。しかし先述のような試合状況で、故障もないのに優勝が期待できる絶対エースを温存させていいのか。佐々木のためには万全の配慮だったかもしれないが、初めての甲子園を目の前にして、強豪・花巻東に2-12で完敗したチームメイトの気持ちはどうなるのか。

とくに大船渡の場合、甲子園の夢を失ったのは選手だけではない。2011年3月の東日本大震災で、大船渡市は甚大な被害を受けた。佐々木が生まれた隣町の陸前高田市も死者1555人、行方不明者223人(当時)の犠牲者を出し、当時9歳だった佐々木も自宅が津波に呑まれて父親と祖父、祖母を失っている。惨事から8年間、復興に努め、佐々木とともに甲子園出場を夢見てきた郷土の人たちの失望も大きいはずだ。

もちろん國保監督も、苦渋の決断だったろう。筑波大学卒業後、社会人クラブを経てアメリカの独立リーグでプレーした監督は、MLBドラフト1位の投手が故障のためにわずか5年でメジャーから姿を消した現実を見てきた、という報道もある。

また、大学で体育専門学を学び、アメリカで故障の怖さを間近に見た監督は、「佐々木は身長190センチで、なお骨は成長中。無理をさせるわけにはいかなかった」という話もある。

たしかに小中学生など、骨格が成長過程の時期は間違った投げ方や無理な練習をさせてはいけない。旧知の整形外科医も、「若いときは骨が成長期で柔らかいから、同じ方向の運動を繰り返すといびつな骨格になる。体の左右が平等に成長するように気をつけなければいけない」と言っている。

つまり、「偏らないトレーニングで左右のバランスがとれた体をつくれ」と言っているのであって、投手に球を投げさせるなと言っているのではない。

骨は筋力、つまり靭帯が鍛えられて強くなる。だから投手も、一番無理がきく高校時代にしっかり走り込みと投げ込みで鍛え上げなければ、いい骨にはならないのだ。

これまでも甲子園まで勝ち上がってきた投手は、練習や試合で一日に何百球も投げ込んできたはずだ。それがみんな肩を壊したか。

私も現役時代に戦った球界勝利数トップ3の金田正一国鉄)、米田哲也(阪急)、小山正明阪神)は、雑誌の座談会で「投げすぎで投手の肩は壊れない」と口をそろえている。佐々木の場合、監督は「連投させると壊れる可能性が高いので(起用を)決断できなかった」と言うが、予選でこんなに大事に使っても「連投したら壊れる」としたら、どんな練習をしてきたのだろう。

「球界の宝」になる才能だから壊すわけにはいかない、というのなら話は逆だ。予選で一度も連投できないようでは甲子園に進んでも勝ち残ることはできないだろうし、過保護に育った投手が将来、プロ野球で成功するとは思えない。