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「私は野育ちだから」とよく笑って話される皇后さま。古希のお誕生日のおことばでも「子ども時代は本当によく戸外で遊び、少女時代というより少年時代に近い日々を過ごしました」とあるように、よく庭や野原で遊び、3歳上のお兄さまや、夏の避暑地で一緒に過ごす年上のおいとこさんたちをまねて、昆虫採集をし、たくさんの虫の名前を習ったそうです。

 戦後の夏の軽井沢では、母・富美子さんが口にする花の名前をおぼえ、父・英三郎さんの書棚で見つけた科学者・寺田寅彦の随筆を愛読されてきました。

 かつて皇族や公家の女性が出家して門跡(住職)となった御寺が、現在も京都・奈良に13か所ほど残っています。明治になり、皇族の出家が禁止されて門跡寺院は皇室との関係を失ってしまいました。また、廃仏毀釈があり、さらには戦後の土地改革で、檀家をもたない門跡寺院にとって唯一収入の道であった土地を失い、戦後は貧窮のさなかにありました。

 途方にくれて企画されたという、京都・宝鏡寺の「人形展」を、数年後、若き皇太子妃時代の美智子さまが、京都ご訪問の折に「拝見にうかがってもいいかしら」とご覧になりました。すると、その年を境に驚くほど多くの人で賑わったそうです。いまやお雛祭りの時期には大勢の観光客が目指す有名寺院になりました。

 コロンビア大学教授のバーバラ・ルーシュさんを中心とした、尼門跡寺院の御宝物の修復と保存に関するプロジェクトにも、実は、皇后さまはご著書の印税を寄付されているのです。

「皇后さまは門跡さま方に対し、いつも“なにか陛下のおいとこさん方のような気がして”と優しく見守っていらっしゃり、私の仕事も長年にわたって支援してくださっています」とルーシュさんは語られています。

 いつだったか御所をお訪ねしたとき、皇后さまに「これは軽井沢で大平さんにお出ししたものと同じもの……」と、とうもろこしとたらこ入りのおむすびを出していただいたことがあります。

 私の祖父、大平正芳が総理時代、軽井沢ご静養中の皇太子ご夫妻を訪問したときのことを、ご記憶いただいていたのです。

「気に入っていただけたのか、ペロリと召し上がっていただいたの」と楽しそうな皇后さまのお話に、食いしん坊の祖父が恐縮しながらも、美味しそうにおむすびを頬張る光景が目に浮かびました。私は感激と緊張で、味は記憶にないのですが……。

 皇后さまの取材をしていると、長い年月の後に、今日の皇后さまがおありなのだと感じます。さまざまな人々との出会いを、いつも大切に丁寧にもたれており、それをまた新たな出会いへと繋げてくださるのです。

「皇室に上がって最初に公務をご一緒した政治家は大平さんでした」と皇后さまがおっしゃったので驚いたこともあります。

 ご成婚は昭和34年。この時は岸内閣でしたが、翌年、池田勇人政権となり、大平は官房長官を拝命しました。祖父が公務をご一緒したのはおそらくこの頃、浩宮さまご誕生まもなく、皇太子ご夫妻での訪米に関わることではなかったか、と推察しています。

 軽井沢でおむすびをいただいた翌年に、大平は現職総理のまま亡くなりました。その孫に、皇后さまはたった一度のおむすびを覚えて出してくださった。そのお心遣いにあらためて驚きます。

 大平はクリスチャンでした。戦時中に教会をやめていますが、「聖書なしには一日も過ごせない」と総理就任時のインタビューで答えています。信条は「政治とは鎮魂である」でした。

 勝手ながら私は、「皇室は祈りでありたい」という皇后さまのお言葉に、同質の精神を感じてきました。

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弘仁9年(818)の大飢饉に際して嵯峨天皇は、弘法大師の勧めにより一字三礼の誠を尽くして般若心経を浄書され、その間、檀林皇后は薬師三尊像を金泥で浄書、弘法大師嵯峨院持仏堂五覚院で、五大明王に祈願した。このときの宸筆・般若心経は、60年に一度しか開封できない勅封心経として現在も大覚寺心経殿に奉安されている。

「佳子さまはイギリス留学当時、彼とおつきあいされていたわけではありませんでした。しかし、帰国後も彼と連絡を取り続けられており、親しい関係になられたそうですよ」(皇室関係者)

 秋篠宮家の次女、佳子さま(25才)が着々とご結婚へと進まれている──。このところ、佳子さまの“お相手”に関する報道が相次いでいる。慶事の気配がまるでなかった中で、にわかな関心の高まりに「宮内庁内部でも一様に『なぜいまそんな話題が?』と驚くばかり。そのくらいに寝耳に水だった」(宮内庁関係者)という。

 時はコロナ禍。国民は自粛生活を強いられ、皇室の行事も多くが中止となっている。そんな状況下で、本当におめでたい話が進んでいたのだろうか。しかし、前出の皇室関係者は「彼との話は、決してあり得ないことではない」と話す──。

 口火を切ったのは「デイリー新潮」。6月30日、佳子さまの「新しい男性の存在」が噂されていると報じた。続いて「週刊女性」8月4・11日号が「都内の理系大学出身の“爽やか系イケメン”」と交際相手について詳らかにし、「佳子さま結婚へ!」というタイトルで打ち出した。

 そうした報道に驚いたのが、宮内庁皇宮警察の関係者たちだった。

「皇族方が外出されるときは必ず皇宮警察の『側衛官』が護衛します。特定の男性と繰り返し会われていれば、皇宮警察が把握し、秋篠宮ご夫妻はもちろん、宮内庁関係者の耳にも入るはず。しかし、側衛官は “佳子さまが特定の男性と何度も会うことはなかった”と口を揃えているそうです。普通に考えれば、皇宮警察に把握されないで交際を続けることは不可能に近い」(皇室ジャーナリスト)

 姉の眞子さま(28才)がお相手の小室圭さん(28才)と交際を始めた頃、皇宮警察はその存在を把握していた。しかし、佳子さまのお相手については、皇宮警察の誰もが把握できていないという。

 ならば、いったいどんな人物で、どのような交際をされているのだろうか。

 佳子さまは2017年9月から約9か月間、英リーズ大学で舞台芸術を学ばれた。報道でお相手とされる男性Aさんは、佳子さまと同時期にリーズ大に留学していたという。

「Aさんは理系なので舞台芸術を学ばれた佳子さまとは学部が違ったそうです。リーズ大学は規模の大きな大学なので、キャンパスもそう近くなかったはず。ですが、留学中もよく行動をともにする仲で、周囲もお似合いと見ていたようです。ただ、その当時は交際していたわけではなかった」(皇室関係者)

 実際、留学先では佳子さまと親しげに話す、日本人男性の姿が見られていたという。

「その男性がAさんか定かではないですが、その様子から、おふたりの距離感はたいへん近いものと見受けられました。男性は黒髪短髪で、前髪はおでこが出るほどに短く切り揃えた、清潔感がある印象です。キリッとした眉毛が特徴的で、“小室圭さんにもとてもよく似ている”と感じましたね。ただ、小室さんよりずっと身長は高かった」(前出・皇室関係者)

 眞子さまは2012年、小室さんと大学の留学説明会で出会われ、交際へと発展した。2015年には小室さんがイギリス留学中の眞子さまを訪ね、愛を育まれたと報じられた。佳子さまも同様にイギリスの地で親交を深められたのだろうか。

 佳子さまは留学当時、「富士急ハイランド」などを運営する富士急行の御曹司との交際が噂されていた。しかし、それは周囲が期待していただけのもので、ご本人にはその意思はなかったそうだ。

「Aさんとも留学中に急激に親しい仲になったわけではないようです。ただ、佳子さまはイギリスで知り合ったご友人と、いまでも連絡を取り合われるほどに仲がいいそうです。Aさんとも帰国後に連絡を取り、複数人かもしれませんが、会われることもあったのでしょう。そうした中で、ふたりの関係は深いものになっていったのではないでしょうか」(別の皇室関係者)

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