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モンゴルを公式訪問している天皇皇后両陛下は、8日、首都ウランバートル国賓として歓迎行事に臨むほか、郊外にある慰霊碑に花を供えて、帰国がかなわなかった日本人抑留者の霊を慰められます。

両陛下は、6日から国賓としてモンゴルを公式訪問していて、8日は、午前中、ウランバートルの中心部にある政府庁舎前の広場で歓迎式典に臨んだあと、庁舎内にある賓客応接用の「ゲル」でフレルスフ大統領夫妻と会見されます。

また夜には、宿泊先のホテルで大統領夫妻主催の歓迎の晩さん会に臨まれます。

ウランバートル郊外には、敗戦後旧ソビエトによって抑留されてモンゴルに送られ過酷な労働などのため命を落とした日本人およそ1700人の慰霊碑があり、両陛下は午後この場所を訪ねて、花を供え、犠牲者の霊を慰められます。

モンゴル抑留の生還者「経験した苦難 広く知ってほしい」
モンゴルでの抑留生活に耐えて生還した人たちは、両陛下の慰霊を機に自分たちが酷寒の地で経験した苦難について広く知ってもらいたいと願っています。

現在102歳で、北九州市に住む樋口三郎さんは、22歳の時に旧満州終戦を迎え、ソビエト軍によって抑留されたあと貨物列車やトラックに乗せられてモンゴルに送られました。

抑留者が首都ウランバートルの都市建設などに従事させられる中、樋口さんは、外務省の建物の建設を担当したということで「技術がある人はブロックを積んだり壁を塗ったりしたが、私などは技術がないから雑役や運搬、穴を掘る仕事ばかりだった」と当時を振り返りました。

そのうえで、2年間の収容所生活について「モンゴル自体が貧しい国だったので、抑留者に食べさせるものがないから、われわれが旧満州から持ってきた小豆ばかり食べさせられた。食事は小豆20粒くらいとキャベツの葉4、5枚を塩も入れずにお湯で炊いただけのもので、寒さと栄養失調、重労働の3つで生き地獄だった。寝る前は毎日『日本に帰りたい』とか『ごはんにみそつゆ食べたい』という話ばかりで、朝、隣の人が起きないので触ったら冷たくなっていたこともあった」と語りました。

また、今回の公式訪問で、両陛下が現地の慰霊碑を訪ねて犠牲者の霊を慰められることについて、「本当にありがたいことで、抑留者のことを考えてもらっているんだなと思う。自分は生きているが、多くの人が亡くなったので、遺族は喜んでいるだろう。戦争で弾が当たって負傷して死んだのと同じように、栄養失調や凍傷や重労働による過労で苦しんで多くの人が死んでいったので、その苦労を広く知ってもらえたらありがたい」と話していました。

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朝青龍白鵬日馬富士】3人のモンゴル人元横綱 両陛下の歓迎式典出席に感想「モンゴル人として誇りに思う」「国民も大変喜び感激」

国際親善のためモンゴルを公式訪問している天皇皇后両陛下は、首都ウランバートル国賓として歓迎式典に臨まれました。
記事後半では歓迎式典のあと、両陛下とことばを交わした大相撲の元横綱3人のコメントも紹介しています。

目次
モンゴル側関係者として出席の元横綱3人は

両陛下 首都郊外にある日本人抑留者の慰霊碑を訪問

天皇皇后として初めてモンゴルを訪問している両陛下は、現地時間の8日午前10時頃から、ウランバートル中心部の政府庁舎前にある広場でフレルスフ大統領夫妻とともに歓迎式典に臨まれました。

天皇陛下は、礼砲君が代の演奏で歓迎を受けたあと、儀じょう隊の栄誉礼を受け、大統領とともに整列した隊員を巡閲されました。

広場の周りには、民族衣装を着て両国の国旗を持った人や「ありがとう日本」と日本語とモンゴル語で書かれた横断幕を持った人などが詰めかけて式典の様子を見守り、両陛下はモンゴルの閣僚らと握手を交わしたあと、モンゴル側の関係者として出席した大相撲の元横綱朝青龍日馬富士白鵬とことばを交わされていました。

そして、大統領夫妻とともに階段を上り、モンゴル帝国の初代皇帝チンギス・ハーンの巨大な像の前に進んで一礼したあと、振り返って手を振られました。

このあと両陛下は、庁舎内にある賓客応接用の「ゲル」で1時間余りにわたって大統領夫妻と会見されました。

フレルスフ大統領

会見の冒頭、大統領は「両陛下の国賓としての訪問は大変喜ばしいことで、心から大歓迎します。モンゴル国民の融和と独立の象徴でもあるナーダムの開会式に賓客として出席されることは、モンゴル人にとって大変光栄でうれしく思います。両国の国民の間の友好や友情、親善関係を発展させるうえで、大変すばらしい訪問になることを確信しています」と述べました。

これに対して天皇陛下は「皇后とともに訪れることができましたことを、大変うれしく思っています。心温まる大変すばらしい歓迎式典を催していただき、心から感謝しております。今回、2人でそろってモンゴルの歴史や社会、文化に触れることを大変楽しみにしています」と話されました。

また、皇后さまも「モンゴルの自然に触れる機会を楽しみにしています」と述べられたということです。

モンゴル側関係者として出席の元横綱3人は

歓迎式典のあと、両陛下とことばを交わした大相撲の元横綱3人が、報道陣の取材に応じました。

ドルゴルスレン・ダグワドルジさん(元横綱朝青龍

横綱朝青龍 ドルゴルスレン・ダグワドルジさん
天皇陛下と話せるというのはなかなかないことなので、モンゴル人として本当に誇りに思います。今回は天皇としてモンゴルを訪問し、こんなにめでたいことはないんじゃないでしょうか。本当にもう、感無量です」

ダワーニャム・ビャンバドルジさん(元横綱日馬富士

横綱日馬富士のダワーニャム・ビャンバドルジさんは「きょうはお会いできて、本当に光栄に思います」と述べたうえで、乾燥した気候のモンゴルでは徳の高い人が来ると雨が降るという言い伝えがあり、両陛下が会場に到着したあと雨が降り始めたことを踏まえ「雨も降って国民の皆様も大変喜んで、感激しています」と話していました。

モンゴルには、日馬富士の名前を冠した学校があるということで、インタビュー中、朝青龍が「もう、うれしいだけです」と控えめに話す日馬富士に「学校の先生なんだから、もっとビシッと決めてよ」と、ことばをかける場面もありました。

白鵬翔さん(元横綱白鵬

横綱白鵬白鵬翔さんは、天皇陛下が、18年前に皇太子としてモンゴルを訪問した際にモンゴル相撲の英雄だった自身の父親に会ったことやその後、園遊会で懇談したことを覚えてくれていて、その話をされたことに驚いたと述べました。

そのうえで「きょうは亡き父の指輪をつけてきました。もったいないおことばをいただき、本当にうれしく思います。天皇陛下には『ありがとうございます。またモンゴルに来ていただいて、うれしく思います』とお伝えしました」と話していました。

歓迎式典を見守る人たちは

モンゴルの首都、ウランバートルの中心部にある政府庁舎前の広場では8日小雨の降る中、伝統の民族衣装に身を包んだ大勢の人たちが歓迎式典を見守りました。

式典を見に来た60代 元教員
「日本に関心を持っているので、天皇皇后両陛下が来られると聞き、行くしかないと思いました。モンゴルと日本の関係が新たな段階に入ることを期待しています。モンゴルには子どもを日本に留学させたい人が多いので、教育の分野で関係が強化されることを望んでいます」と話していました。

60代の元教員
天皇皇后両陛下を遠くから見ました。皇后さまがおじぎをされる姿がすばらしかったです。今回の訪問はモンゴルと日本の友好関係が末永く続くことを確認する機会になると思います」と話していました。

30代の公務員
天皇皇后両陛下を歓迎できて誇りに思います。日本の研修を受けたことがあり教育の分野で両国の協力が強化されるとよいと思います」と話していました。

日本に留学経験 ウランバートルで日本との交流の仕事に携わっている女性「うれしくて涙が出るくらい感動しました。日本の支援のおかげでモンゴルは発展しました。これからも関係がもっと発展してほしいと思います」(日本語で)

両陛下 首都郊外にある日本人抑留者の慰霊碑を訪問

天皇皇后両陛下は、終戦から80年の節目を前に首都ウランバートル郊外にある慰霊碑を訪ねて、帰国がかなわなかった日本人抑留者の霊を慰められました。

両陛下は、ウランバートル中心部で国賓として歓迎式典などに臨んだあと、午後、郊外にある日本人抑留者の慰霊碑を訪ねられました。

モンゴルには、第2次世界大戦の敗戦後、旧ソビエトによって抑留された日本軍将兵や民間人あわせておよそ1万4000人がシベリア経由で移送され、このうちおよそ1700人が寒さや飢えと過酷な労働などのため命を落としたとされています。

天皇陛下は、皇太子時代の平成19年にもこの場所を訪れていて、降りしきる雨の中、皇后さまとともに慰霊碑に花を供えて黙とうをささげ、帰国を果たせないまま酷寒の地で亡くなった人たちの霊を慰められました。

そして、慰霊の様子を見守っていた日本遺族会の会長や抑留者の遺族とことばを交わされました。

8日は、天皇皇后として初めてモンゴルを訪問した両陛下の歓迎行事が行われていて、おふたりはこのあと宿泊先のホテルで大統領夫妻主催の歓迎の晩さん会に臨まれます。

慰霊に立ち会った抑留者遺族は

鈴木富佐江さん(88)
父親がモンゴル抑留中に命を落とした東京・狛江市の鈴木富佐江さん(88)は、慰霊を終えた両陛下とことばを交わしたあと「とてもありがたく、光栄に思います。天皇陛下から『お父様がお亡くなりになってご苦労がおありでしたね』などとお話しいただきました。抑留によって『父さえいれば』と思う私のような遺児がたくさん生まれたことを広く知ってもらいたい。抑留の歴史を遺族会とともに若い方に伝えていきたいと思います」と話していました。

日本遺族会 水落敏栄会長
日本遺族会の水落敏栄会長は「モンゴルまで来て慰霊碑に参拝していただき、本当にありがたいです。降っていた雨が両陛下が参拝されたとたんにやんだので、びっくりしました。亡くなった方々のうれし涙だったのでしょうか」と話していました。

テレビで見守った抑留経験者は
「全国強制抑留者協会」会長 山田秀三さん
現在107歳で、抑留経験者やその家族などでつくる団体「全国強制抑留者協会」の会長を務めている富山県南砺市山田秀三さんは、テレビで両陛下の慰霊の様子を見守りました。

山田さんは、何度もうなづきながらニュースを見たあと「慰霊碑を参拝されたことに対し、本当に喜んでいます。向こうで死んだ人たちも喜んでいると思います。私は107歳でまだ生きていますが、抑留を経験し生きて戻ったほかの人たちはみんな年を取って亡くなってしまった。そういう時代になってしまいました」と話していました。

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