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7月11日「古賀穀堂③」

なかなか洒々落々(しゃしゃらくらく)とした所があって、「琴鶴亭の記」という文章を書いておりますが、何ぞ知らん、穀堂にお琴とお鶴という二人の愛人がありまして、この二人の名をとって亭の名にする等、意外な感にうたれますが、普通の杓子定規の人でない。
まことに自由濶達、その半面に謹厳徹底した人でありまして、閑叟公を育てあげました。

「知識・見識・胆識」

この人生、人間生活とはどういうものであるか、或いはどういう風に生くべきであるか。
というような思慮・分別・判断というようなものは、単なる知識では出て来ない。
そういう識を「見識」という。
しかし如何に見識があっても、実行力、判断力がなければ何にもならない。
その見識を具体化させる識のことを「胆識」と申します。
けれども見識というものは、本当の学問、先哲・先賢の学問をしないと、出て来ない。
更にそれを実際生活の場において練らなければ、胆識にはなりません。
(干支新話)

活学百言「72.賞禄有功」

東洋には人間を二つに分けて、仕事のできる才能の有る者と、人を率いて行く徳の有る者とを別にしている。
どんなに仕事ができても、手柄があっても、それ故に地位を与え、禄を与えて人を支配させてはいけない人がある。
又これといって仕事のできないでも、その地位にその人を据えておれば、自ずと治まる人がある。
これを使い分けることが東洋政治哲学の人事行政の根本問題である。
これが「賞禄有功(しょうろくゆうこう)」である。

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こで俺は何になるのだ、何をもって存するのだというと、これは真の自分になること、 自分の信念・学問・信仰に徹することです。これは大きな見識であります。世間では自分を見失ってしまって、他人のまねばかりするものですから、ろくな自己ができません。
ここに至って古賀穀堂はやはり偉い。徹底した見識をもった人であると思います。さすが名君を育てあげただけのことはある、と感心させられます。

経書は実生活の注脚として読むべきだが、それは世故を積むこと、齢を重ねること、世の辛苦を嘗めることが大切だ。
そこで若い者は史書を読むこと、人物を研究して経史を一如にすることを心掛けねばならぬ。

呻吟語』に
「民風を変ずるは易く、士風を変ずるは難し。士風を変ずるは易く、仕風を変ずるは難し。仕風変ずれば天下治まる」
とある。
民衆の風俗を変えることは易しい。それより難しいのは指導階級の風を変えることであり、更に難しいのは役人気質、政治気質というような仕風を変えることである、という。

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