【正論】国学院大学教授・大原康男 個人信条からの独立の難しさ
「神社神道の神観は原始的であり、超自然的、奇蹟的要素がほとんどなかった」
無い方がレベルが高い。
人格的一神教ではなく
【私のおしゃれ学】歌舞伎俳優 市川右近 賢明に演じて見える 生きる信条
タケルは征伐のたび、なぜ闘い、人を殺すのか、苦悩して成長する人間くささを持っている
生涯を通じて何か大きなものを追い求めてきたタケルが、最期に語る名台詞(せりふ)「天翔(あまが)ける心、それがこの私だ」は、歌舞伎界で革新的な活動を続ける猿之助自身と重なり、90万人の感動を呼んできた。
その2年後、「天翔ける心」について猿之助に尋ねた。「『あなたは実践してないから、分からないだろうね。人生における啖呵(たんか)なんだよ』って言われました」
シラノ・ド・ベルジュラックが(絶命直前、あの世に持ってゆくものを)『私の羽根飾り(こころいき)だ』と言うんです
何かに突き動かされ、懸命に演じてこそ初めて見えてくる「天翔ける心」。「それはなぜ生きるのかに通じると思うけれど、明確ではありません。それでも天翔ける心を持ち続けたいし、それがお客さんに喜んでいただけることにつながる」
吉田 都
心が柔らかい少年少女にバレエの素晴らしさを伝えたい。
バレエで夢をかなえた私だから、バレエで社会に恩返したい。
哲学は、
「自分が変わる」という
勇気がないと、
やる意味がないと思う。
これからの哲学は、・・・論理ではなく、在り方のことを言うようになるだろう。
本人の在り方が変われば、
世界なんて、簡単に変わってしまうからだ。
1人が、自分を深く見つめて、表現した在り方、それを哲学と呼ぶようになるだろう。
本ではなく、その人を見ただけでだれもが理解する。
彼らは出かけるだろう。
言語に囚われ、言語を追いかけ、言語に依存する、
哀れな、私たち古い時代の哲学者たちを置き去りにして。
東洋哲学とプラトン哲学はそういうもの。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080129#1201566218
『ゴルギアス』
P194
そこで、友情の神ゼウスの名にかけて、カルリクレスよ、どうか、君自身としても、ぼくに対して冗談半分の態度をとるべきではないと考えてくれたまえ。また、その場その場の思いつきを、心にもないのに、答えるようなこともしないでくれ。さらにまた、ぼくの側から話すことも、これを冗談のつもりで受取ってもらっては困るのだ。なぜなら、君も見ているとおり、いまぼくたちが論じ合っている事柄というのは、ほんの少しでも分別のある人間なら、誰であろうと、そのこと以上にもっと真剣になれることが、ほかにいったい何があろうか、といってもよいほどの事柄なのだからね。その事柄とはつまり、人生いかに生くべきか、ということなのだ。すなわち、君がぼくに勧めているような、それこそ立派な大の男のすることだという、弁論術を修めて民衆の前で話をするとか、また、君たちが現在やっているような仕方で政治活動をするとかして、そういうふうにして生きるべきか、それとも、このぼくが行っているような、知恵を愛し求める哲学の中での生活を送るべきか、そのどちらにすべきであるかということであり、そしてまた、後者の生活法は前者のそれと比べて、いったい、どこにその優劣はあるのか、ということなのだ。