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澤田、稲盛、澤上 − 3人のカリスマが、警鐘を鳴らすこれからの日本
澤田さんは、インタビューでこう答えています。
「2013年安倍政権の舵取り次第。ここで間違えれば4〜5年後に国家破綻する可能性もあると考えています。そこまでの危機感を持っている人は少ないように見えます。沸騰したお湯に蛙を投げ込むと慌てて飛び出すが、水の入った鍋に蛙を入れ、だんだん火にかけるとそのまま死んでしまう。日本はそんな状態です」
編集長インタビューに登場した稲盛さんは、新政権の金融政策についてこう語っています。
「私は専門家ではないし、あんまりよく分かっていないので、感覚的にしかモノが言えません。そのうえで、金融緩和は一時的な景気浮揚効果を招くことはできるかもしれませんが、危険だという気がします。(中略)過去の経験からすると、よっぽど劇薬で、非常に危なっかしいと危惧しますね」
さらに澤上さんは「直言極言」というコーナーにこう書いています。
「国家財政に関しては、黄信号の点滅が速くなるだろう。(中略)新政権が積極的な財政政策を打ち出すと、どこかで伸び切ったゴムひもがプツンと切れることは十分あり得る。あるいは、マーケットが歪みを突いてくるかもしれない。そうなると国債の値崩れと、長期金利の上昇が連動するだろうから、金融界は相当に動揺するだろう。」
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【早読み/先読み アメリカ新刊】リンカーン暗殺ブームの牽引役的本がこれだ
アメリカ史上で最も人気のある大統領は、リンカーンとケネディ。奇しくも2人とも暗殺された大統領だ。下院議員になったのも大統領になったのもちょうど100年違い、秘書の名前はリンカーン大統領はケネディ、ケネディ大統領はリンカーン。副大統領で大統領に昇格した人物はともにジョンソン。国論を二分させた黒人奴隷解放や黒人公民権制定に努力した2人は勇気ある大統領だった。
今まさに国論が二分され、国が真っ二つに割れているオバマ政権下のアメリカ。リンカーンとケネディの暗殺モノが売れている現象をどうみたらいいのか。アフリカ系アメリカ人の1人は「不気味だね」とポツリとつぶやく。
Killing Lincoln: The Shocking Assassination That Changed America Forever (Bill O'Reilly's Killing)
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『ベルばら』ってすごいなあ。
植爺、すごいなあ。
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「記述が長くなるケースがあり、判決は核心部分の争点にポイントを絞った簡潔で分かりやすいものにすべきだ」
「裁判員裁判では争点を絞って審理を行い、法廷で直接見聞きしたことで意見を交わすのだから、判決もこれまでより短く、分かりやすくできるはずだ」
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20130104#1357307874(短い表現に心を込めるところに技法のある日本語の特性)
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『新編 漢詩読本』
P43
作品としての詩の第一の要件は、
いかに統一生動しているか
という点にある。言い換えれば、能く内面的造化的であって、くだくだしい事件的外面的でないことである。
広瀬淡窓詩話に、父は生前俳句が好きであったが、こんな話を聞かされたことがある。ある門人が海鼠の句を作って師に見せた。
板の間に 下女とり落す 海鼠かな
師は一見して直に道具建てが多いと却下した。そこで弟子は沈吟して、これを、
板の間に とり落したる なまこかな
とした。師は、うん大分好くなった。しかしもう一息だとまた返した。苦吟の果てに、弟子が持って来たものは、
とり落し とり落したる なまこかな
となっていた。善哉、初めて師はこれを許したと。「板の間に下女とり落す海鼠かな」はなるほどよく分る。が、分り過ぎて本当の処何を詠んだのか分らない。海鼠を詠んだにしては海鼠の海鼠たる所以がちっとも躍動しておらない。板の間に娘の落すでも、板の間に童でもまた好い。かなの二字で海鼠が主になっていることは分明だが、どうしても、板の間や下女に気が散る。その板の間を去り、下女を除くに随って、海鼠がはっきり出て来る。摑みどころのないぬらりくらりとした、なまこらしいところがよく出て来る。ここだ。大切な詩の魅力といわれる“kinetic and potential speech”の好い例である。(一)
(一)アーサー・ランサム(Arthur Ransome)の詩論に、詩というものは動的な言葉が潜勢的な言葉に結びついて出来る。そのどちらかを失ってしまうと、もはや詩ではない(Poetry is made by a combination of kinetic with potential speech. Eliminate either, and the result is no longer poetry.)といっている(野口米次郎『詩論』所引)。