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『憲法判例を読む』
P55

 このように、自由権から参政権へ、さらに社会権へという流れで、権利の保障が拡大強化されてきていることが、第二に注目される点です。
 ただ、資本主義国家の憲法においては、やはり自由権が中心になっています。社会権は、自由権の保障をより完全に、より充実させていくという目的をもっております。ですから、社会権中心というのではなく、自由権が中心で社会権がそれに相伴って、あるいはそれに付加されるかたちで、保障されているというのが資本主義国家における人権のだいたいの傾向と言ってよいと思います。
 日本の場合、敗戦を契機にアメリカのいわば強力な指導によって憲法が制定され、現代型の社会権を含む人権宣言が作られたわけですが、その結果、明治憲法時代から一足飛びに自由権社会権という二つの性質の違う権利を実現していかなければならないというむずかしい課題を背負わせられることになったわけです。というのは、社会権を重視すればするほど、権力介入をむしろ認めていかなければならないのですが、自由権を重視すれば、権力の介入をできるだけ排除していく必要があります。ところが最近の憲法では、自由権社会権の二つを必ずしも割り切って考えられない場合がいろいろなかたちで出てきているのです。