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全体を理解する知覚的な認識が不可欠である

 すでに1890年代、形態心理学は、われわれが理解するのは「C」「A」「T」ではなく、「CAT」であることを明らかにしている。以来、心理学のほとんどの分野が、分析から知覚へと重点を移した。今日の心理学は、人間の心理過程、つまり衝動ではなく、人間そのものを理解しようとする

 生態系なるものは、すべて分析ではなく、知覚の対象である。全体として観察し理解しなければならない。部分の和が全体ではない。部分は全体との関係において存在するにすぎない

部分は部分としても存在するのだが、それは「全体との関係において存在する」ということ。
近代は「アトム的な個人」を想定し、ポストモダンは主体性を喪失する。
日本語では自分のことを「自分」と言うが、これは「自」と「分」を併せたもの。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080122#1203420789(全と個)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080525#1211705486(自由と平等)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080525#1211714418(絶対矛盾的自己同一)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080523#1211543586(自国と他国)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080107#1199945158(対立と統一)