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『代表的日本人』
P36

 西郷の生涯のうち、此の最後にして最も悲しむべき部分に就ては、余輩は極めて僅かしか語るの必要はない。彼らが当時の政府に対し謀叛人となつたことは、事実であつた。如何なる動機が彼をして斯かる立場を取るに至らしめたかは、これまで色色に推測されたのである。彼の昔からの弱点である『余り強すぎる情』が、彼を叛徒と結びつける主な原因であつたといふことは、如何にも尤もなことと思はれる。彼を天下唯一の人として崇拝してゐた約五千の青年が、おそらくは彼の知ることなしに、そして多くは彼の意志に反して、政府に対し公然たる叛乱を開始したのである。彼等の成功不成功は、全く彼の名と勢力とを彼等のために藉すか否かに存してゐた。人間として最も強き人、併し彼は困窮者の懇願の前には自分で自分を殆ど如何ともすることは出来なかつた。二十五年前、彼は款待の印として己が生命を客人に与ふるの約束をした。今や再び、景慕し来る弟子等に対する友誼の印として、己が生命、己が名誉、己が一切を犠牲とするに至つたのであらう。斯くの如き見方が、彼を最も善く知つてゐた多くの人人によつて取られてゐる見方である。
 彼が時の政府に強き不快の念を懐いてゐたことは、争ふを要しない。併し彼のやうに心の均衡のよく取れた人が、たゞ怨恨のためのみに干戈に訴へるといふことは、推測するに難いことである。少なくとも彼の場合には、叛乱は、彼の生涯の遠大な目的の達せられなくなつたことに失望した結果であつたと余輩の主張するは、誤りであるか。其は、直接彼によつて惹起されたことではなかつたけれども、彼を言ふべからざる霊魂の苦悶に会はしめた。明治維新は、彼の理想と斯くも相反した結果を生んだからである。万一、叛乱が偶然にも成功すれば、彼は今なほ彼の生涯の偉大なるもろもろの夢を実現せしめ得ないであらうか。疑ひつゝ、而かも全く幾分の希望なしではなしに、彼は、叛徒等と合し、そして彼が本能的に予測してゐたと思はるる運命を、彼等と共ににしたのである。併し、歴史は、彼の生涯の此の部分を解決し得る以前に、尚ほ百年待つべきである。