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スポーツ界を操る「保守派の政治家」たち

 30年ぐらい前までは、スポーツ・体育関係者の間で、「平和」という言葉はタブーとされた。なぜかというと、保守派の政治家や文科省の役人たちは「平和」を口にすると「思想的に問題がある」とみな傾向があったからだ。また、「国旗・国歌法案」(1999年)の成立のためにスポーツ界が動員され、先導的な役割さえ果たしたこともある。

 戦後に制定された憲法の精神である国民主権、平和主義、民主主義を実現するためにスポーツが果すべき役割は大きい。平和でなければスポーツはなりたたない、という受け身に止まるのではなく、スポーツが平和をつくるという積極性が求められている。

左翼が「平和」「国民主権、平和主義、民主主義」の意味を歪めたから、そこから這い上がろうとすると、また、這い上がらせようとすると、どうしてもこれを強く否定せざるを得ず(改革をしようとすれば行き過ぎるまでやらなければならないように)、抜け出した者(二元的対立をしている限り抜け出せてないのだけれども)は自称保守のように復古的で抑圧的な人間になってしまう。
そして、そこが到達点かのように錯覚して、重層的で多義的な世界を理解できないでいる。