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株価下落で露呈した進歩のない日本の銀行経営|山崎元のマルチスコープ|ダイヤモンド・オンライン

 日本の銀行は、サブプライム問題では比較的傷が浅かったため、相対的に米欧の金融機関よりも状況はいい。しかし、その理由は、バブル処理に追われ、国際金融への展開が遅れていたためであり、いわば「怪我の功名」であった。株価がバブル後の最安値を更新するところまで下落してしまうと、安穏とはしていられなくなってきた。

 結論から言えば、日本の銀行は、あれだけのお金と手間をかけて、やっと経営を立て直してきたにも関わらず、体質が何も変わっていない。要は、低金利と景気回復に助けられて、不良債権処理をし、多少の利益を蓄え、立派になったような顔をしていただけなのだ。経営的な質的改善は全くなかった。

 しかし今回この金融機関の問題が議論される手順を見ていると、何とも胡散臭くて、釈然としない。中でも、時価会計の一部凍結はインチキではないか。

自分だけを特別扱いするおかしさに気づくべきだ。

 別に資本や利益を計算する際に反映せずとも、両方を併記し、公開するのが正論ではないだろうか。ただ単に時価会計を停止するという今の議論には、金融機関の経営責任を曖昧にしようという思惑と場当たり的な政策対応の二つを強く感じる。

 そう考えていた矢先、朝日新聞社のニュースサイトで、新銀行東京に関する興味深いニュースに出くわした(10月26日付け)。NHKの報道番組で、民主党管直人代表代行が、公的資金の注入先として、「新銀行東京が対象になるとすれば、大問題だ」と述べたのに対して、自民党石原伸晃幹事長代理が「法律の中には銀行に区別はない」と答えたというのだ。

 銀行経営から株価の影響を切り離されなければならないという不良債権処理の教訓が、まったく生かされていない。株価が下がると、結局、昔と変わらぬ元のままの銀行がまた汚い顔を出して現れた。