首相は「(選挙運動を)もっとやれば伸びるじゃねえか」と口にし、解散を見送った。
その後、金融・経済情勢のさらなる悪化を受け、首相の心は再び早期解散へと揺れ動く。10月8日には日経平均株価が4年10カ月ぶりに1万円割れ。当時、首相は麻生派議員に「経済状況の悪化は自民党に有利に働く」と語っている。
太田氏は渋々了承する代わりにこう言った。「総理、約束したじゃないですか」
負い目があったのは首相の側だ。「解散時期は決めていない」と繰り返していた首相だが、実は違った。10月13日夜、帝国ホテルの会員制バー。極秘に太田氏を呼び出した首相は「総選挙は11月30日投票でお願いしたい」と告げていた。
首相の考えを承諾した古賀氏だったが、直後にブレーキ役を演じることになる。9月下旬に続いて自民党が実施した追加の選挙情勢調査で「自民党198議席」という衝撃的な予測が届いたためだ。公明党と合算しても衆院の過半数には届かない。古賀氏は「今選挙をやったら負ける」と確信し、首相に近い菅義偉選対副委員長に「総理に選挙を先送りするよう進言してほしい」と要請した。
後に潮目を変えたと評される10月16日の4者会談は、古賀氏が背後にいる形で実現した。
解散について口をぬぐう首相、解散風をあおる幹事長という役割分担は、この時期から定着し始めた。
民主党は独自のルートで先送りの感触をつかんでいた。