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齋藤孝の「3分間」アカデミー 日本人ならではの身体を生かし自分を掘り下げてみよう

 最近、多くの学生やビジネスパーソンと接していて気になるのが、呼吸の浅さだ。

 比喩的にいえば、コイが池の水面で口をパクパクさせながら、空気(情報)を得ることに必死になっている。そんなイメージだ。おかげで、深く潜ることもしないし、広く泳ぎ回ることもない。ネット上で得られる情報やコミュニケーションで満足し、それ以上に探求しようとか、違うアプローチをしてみようとはならないのである。

 また比喩だけではなく、実際の呼吸も浅い。それが、すぐにキレるとか、心が折れてしまうとか、さらにいえば人間的魅力の薄さ等々の現代人気質につながっているのではないだろうか。長く呼吸の研究をしてきた私としては、そう思わざるを得ない。

肌感覚や情感のレベルでものごとを考えることができない。表面的な情報を得て、それが世界のすべてであると錯覚してしまうのである。

 それによると、一人の人間の中には、知的部分の「セルフ1」と本能部分の「セルフ2」という二人の自分がいるという。テニスをはじめとするスポーツでは、すべて「セルフ2」に任せれば最大限の実力を発揮することができる。そればかりか、「セルフ2」には「あらゆる物事をスーパーにやってのける能力」があり、「万人に共通した潜在的な能力」でもあるそうだ。

 ところが「セルフ1」は、「それじゃダメだ」「もっとこうすべきだ」「お前は才能がない」などと言い続けている。つまり、「セルフ1」が「セルフ2」の邪魔をしているわけだ。上達するには、これを黙らせることが重要と説いているのである。

 その方法として、一つ一つのプレーを声に出して言う、というものがある。たとえばボールがバウンドしたら「バウンス!」と言い、ラケットに当たったら「ヒット!」と言う。あるいは打ったボールがバウンドする位置を見きわめて「プラス1!」「プラス2!」などと声を上げる。たったそれだけで、たちどころにプレーが改善されるという。

 この理由は、なんとなく分かるだろう。声を出す瞬間、「セルフ1」の存在を忘れることができる。余計な情報を遮断して、プレーに集中した状態をつくることができる。スポーツにかぎらず、およそ人間の能力ないし直感というものは、邪魔さえしなければ研ぎ澄まされていくものなのだ。

答えは日本文化・日本語文化の中にある