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衆議院会議録情報 第078回国会 文教委員会 第3号

○受田委員 私は、そうした過去の日本の教育制度等も含めた反省の中に大いに学ぶべきものがあり、日本の今日を築くすばらしい実績を積んだ面のあることを見逃さないこれからの教育行政であり、また教育活動でなければならないと思います。ところが、特に支那事変に突入して以後の日本の教育体制が極端なる国家主義へ転化させられたという、その結果が敗戦という痛苦をなめました。ところが、その後に続くものは天皇御自身が人間天皇を宣言されて民主的憲法ができた、こういう時代を迎えるとともに、またここに一つの反動的な、民主主義を逆にとらえた反動的な勢力が台頭した。教育の流れの中に右から左へという、つまり中庸を得る道にいささかもとる方向がたどられてきて、その中に教育の中立性を強くうたう法律もできたりして、今日の時点になっておるのですが、私は日本の国家百年の大計の文教方針を打ち立てるに当たって、過去のよさ、そしてまた過去のまずさ、そしてその後における日本の歩み方というものを常に大所高所から判断されて永井先生が文教行政を打ち立てていただいておると私は信じておるし、これからもそういう方向にあると思います。
 そこで、一つの問題を提起します。
 この間三塚委員からも御発言がありました、教育課程の答申に関する発言の中に、家族愛の提案があった。私、非常にこれには共感を持っておるのですが、道義の根源ですね。道義の根源と言えば孝である。孝は百行のもとである。これは私やはりすべての道徳の根源としては最も親子の絶対愛、反対給付を求めないこの絶対愛を根源にして、それがだんだん広がって兄弟愛になり、隣人愛になり、同胞愛になり、人類愛に発展していく、国境を越えた愛情まで広がるものであると感じます。そういうものが当然これにうたわれていいものであるし、今後それをもとにして学習指導要領等がつくられてしかるべきであり、また教科書等にもそれが明記さるべきであると思いますが、いかがでございましょう。

○受田委員 中国の言葉、それは幾つも道義の根源をつく言葉が日本に流れておるわけです。東洋哲学が日本に流れた。東洋の道義精神が日本に流れてきた。これは記紀に出ているとおり応神天皇十五年に百済王仁論語十巻、千字文一巻を持ってきて日本に学問を伝えたわけです。それから一つの日本的な、道義的な幾つかの道が開けてきたわけですが、それは中国から学ばされた論語を中心の四書五経、そういうようなものが日本の国民的道義精神として今日まで育ってきておる。これは否定しませんね。
 そこで私が最近しきりに考えるのでございますが、孔子孟子のような王道を唱えて、あの戦国時代に秦という強大な国に対抗する合従連衡策をとったり、あるいは遠交近攻策をとったりしたいろいろな渦巻きの中で、道義の高揚、王道を唱えてきた、これらの道を唱えてきた儒教者、哲学者が、いま中国では、彼らはそういう現実主義者であって、本当はあの強大な実権を持った、学者をなにしたり書をたいたりした、そういう秦の始皇帝のような、王道から見たら覇者のような印象を受ける者がむしろ逆にすかっとして正直でいいんだという思想がいまの中国に流れておる。そうすると先王の道、王道を提唱した行き方でなくて、むしろ秦の始皇帝のような立場で勇敢に、正直に所信に邁進したのが筋が通るなどという中国の見方が最近において行われておるのは、これは御存じでございましょう。

○受田委員 孟子の公孫丑上編にある、王道は徳をもって化する、覇道は力をもって制するという論述からきて王覇の弁が世論を沸き立たせてきたわけでございますが、いま日本の政治の現実にもこの王道提唱者の提案したものが本当に素直に受けとめられてしかるべきものが数々ある。日本化された一つの言葉としても守らなければならない。それは四書五経の中に各所に出ておる。礼記あるいは論語の顔淵編、こういうところに、政は正しくなければならない、子率いるに正しい道をもってすれば、下は礼せずといえどもこれに従うであろう、百姓はみんな従うであろう。政は正しくなければというように何回か出ております。政が正しくない、上正しからずんば、下礼すといえどもこれに従わずという言葉が各所に出ておるのです。これは素直にやはり王道を考えていく、つまり徳で人を化していくというこの見方は、われわれは素直に受けとめていい問題だと思うのです。学ぶべきものは素直に受けとめる。輸入した学問であってもそれが国際的に普遍性を持っている、日本はこれを国際人としても守っていく。さっきの孝の道、これは、すなわち一般的に道義の根源として孝を一つ取り上げ、その周辺に隣人愛があり、そして同胞愛があり、そして人類愛があるという愛情の展開という立場に立ったら、人類愛が先で同胞愛が後だというようなことでなくして、やはり身近なところから道義の実践をしていってだんだんそれを広げていくのが、つまり小さい子供たちにはお父さん、お母さんありがとうと言うところから、小学校から始まって、そして今度は友達にありがとう、そして世の中にありがとう、日本国民ありがとう、白の黒の、色でない、国際的な、人類ありがとうといところへだんだん発達過程で進んでいくもので、初めから非常に大きな理想へ展開できない、つまり教育のスタートはそうした身近な過程から始まって、それがだんだん広がっていくという発達過程を私は取り上げて、そして政治に達した時点では広い感謝、奉仕、こういうような豊かな情操を養成した道徳の体現者になる、これへいくべきではないかと思うのです。

○受田委員 ソ連というお国、まあ共産主義国家でございますが、この国においても教育の目標に孝という大きな徳目を押し出しておるわけです。そうすると、大体、自由世界、共産主義国家群、そういうところで、人間自然の情である身近なところからスタートして、それがだんだん広がっていくという方向をたどっておるものと私は思うのです。そうした国際的な通念、その中で、日本は最も典型的な道義の栄える高い倫理観の実践国として世界に模範になるようにしていくにはどうしたらいいかという問題をひとつ真剣にこの際教育課程の問題でも検討をして、日本の行く道義の道についての目標を示していく。それは、これを唱えると何か往年の国家主義的な基礎になるのではないかという、そういうような政治的な彩りをもう全然考えないで、素直に日本の現状の中からどういう形のお国づくりをしたらいいかということ、やはり基本は教育なのですから、教育で、百年の大計で一貫して動かないものをつくっていくという意味で私、いま一つの提案をしたわけでございます。
 もう一つ、そういう教育の世界は、たとえ内閣がかわっても一貫していけるような形になるためには、そうした教育の指導方針というものとあわせて教師そのものという意味で大臣もお考えになっておられるのですが、私たちの党が昭和四十四年に大学基本法をつくったときに、特に教師養成の大学院大学の提唱をして、そして大学院大学で教師たる理想を持った人をしっかりした基礎で養成しようという提案をしたわけです。だから一般の普通大学を終えた人の中から、さらに大学院大学の教員養成機関というものを設けよう、これは大臣、基本的に御賛成でしたね。

受田新吉 - Wikipedia