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 では、なぜ、新制大学においては、教養と専門を併置する教育課程が制度化されることになったのか。

 それは、第一義的には、新制大学「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」(学校教育法第83条)と規定されたように、幅広い教養と人間性の獲得を土台としつつ、特定の分野での専門性を身につけた人材の育成をめざす高等教育機関として位置づけられたがゆえである。

 比喩的に言えば、最高学府である大学は、「精神なき専門人」(M・ウェーバーを生み出すような場であってはならず、専門的知識を持ちつつも、人間性にも優れた知的人材を輩出する場であるとされたということである。

 同じことを、歴史的経緯に即してみると、以下のようになる。戦前の旧制大学は、もっぱら専門教育を行う3年制の教育機関であったが、しかし、それは同時に、大学本科につながる予備教育の機関としての大学予科や、大学本科のいわば「前期」課程とも言うべき旧制高等学校と接続した教育機関であった。そして、ここでいう大学予科旧制高等学校は、もっぱら一般教育を行う3年制の教育機関であった。

 つまり、日本の大学史においては、大学教育である以上は、教養課程と専門課程を併せ持つことが戦前以来の王道であり、戦後の新制大学は、旧制大学が、大学予科あるいは旧制高等学校の教養課程と大学本科の専門課程という、2段階にわたる6年制の課程として実施してきた教育を、同一段階の「大学」という4年制の教育課程の中に圧縮して取り込むことで成立したのである。

 こうして、戦後の大学においては、4年制のうちの前期に「教養課程」を置くことが一般的となった。それはまた、法制度的には、1991年に改訂される以前の大学設置基準が、大学の教育課程には「一般教育科目」「外国語科目」「保健体育科目」「専門教育科目」を設置することを定め、卒業に必要な最低単位数を、「一般教育科目」36単位、「外国語科目」8単位、「保健体育科目」4単位、「専門教育科目」76単位の計124単位と規定していたことによって、強力に支えられていた。


 このため、おおかたの大学は、「専門教育科目」以外の科目群をすべて「教養課程」に配置し、修業年限の前期に履修させるような体制を整えていった。国立大学の多くがそうであったように、「教養学部」を設置し、入学した学生をいったんこの学部に所属させつつ、後に専門学部へと進学させるような仕組みを整備した大学もあれば、「教養部」のような組織を設置して、一般教育科目、外国語科目、保健体育科目を担当する教員を、専門学部ではなく教養部に配置するような大学も存在した。

 いずれにしても、新制大学にとって一般教育は、専門教育と並んで、大学教育に欠くべからざる教育課程として位置づいたのである。少なくとも、1991年の大学設置基準の改訂(いわゆる「大綱化」)以前においては。

 1990年代までの大学教育を受けたことのある読者であれば、身に覚えがあるかもしれないが、学生の側からすれば、教養課程に属する一般教育の科目は、「パンキョー」などと揶揄され、専門科目よりもワンランク下の科目と見なされがちであった。また、それらの科目の内容についても、退屈で興味が沸かず、「何のためにこんなことを学ぶのか、分からない」といった受け止め方をされることも少なくなかった。

 もちろん、学生の中には、一般教育の科目に魅力を感じ、専門科目とは異なる知的刺激を受けたり、自らの視野を広げることができたと実感する者もいたであろうが、総じて言えば、教養課程の教育の評判は、芳しいものではなかったと言わなくてはならない。

 なぜ、そうなってしまったのかについては、いくつかの理由が考えられる。


 1つめは、戦前の旧制高校であれば、寮生活を通した人間的陶冶(とうや)といった側面も含めて、3年間の課程の教養教育として実施してきたものを、大学前期の2年間の教育で、しかも授業科目のみで実現しようとしたことには、そもそも無理があった可能性がある。

 しかも、2つめに、旧制大学における教養教育は、「大正教養主義」にも淵源を持つものとして、内面的、精神的、人格主義的なものであり、古典などの読書を通じて人格陶冶をめざすといった性格の色濃いものでもあった。そうした「教養」は、戦前のエリート青年には適したものであったかもしれないが、戦後、進学率の上昇とともに次第に大衆化した新制大学の学生には、十分な訴求力を持つことができなかったと見なくてはならない。

 3つめに、とはいえ、多くの大学は、一般教育の科目のすべてを「教養主義」理念に基づいて編成したわけではあるまい。しかし、では、戦後の新制大学にふさわしい「一般教育」の教育課程は、いかなる原理に基づいて、どのように編成されるべきなのか。実は、戦後日本の大学は、この点についての経験もノウハウも持ち合わせてはいなかった。おそらく、この問題がいちばん大きかったのではないか。

 外国語科目と保健体育科目は別として、一般教育科目を「人文」「社会」「自然」の3領域に区分する。そして、学生の所属学部等に応じて、それぞれの領域の必要単位数を定め、実際の履修は、すべて学生の自由選択に任せる。――ほとんどの大学が実施してきた(そして、現在もそうしている可能性の強い)教養課程のカリキュラムは、このパターンを出ないのではなかろうか。

 しかし、これでは、教育課程としての教育上のまとまりがどう担保され、個別の科目ではなく、課程全体としてどのような学習成果を生むことになるのかは、はなはだ曖昧なのである。学生の側からすれば、テレビ番組を次々と見せられて、確かに幅広い情報を得ることはできるかもしれないが、番組どうしのつながりや脈絡はいっさい示されないといった状態である。番組自体の内容が特段に面白ければ別であるが、多くは、興味そのものを失ってしまうのではないか。