【11月新刊予告】
— 岩波新書編集部 (@Iwanami_Shinsho) November 16, 2021
「独学」や「学び」に注目が集まる今だからこそ注目したのが、教育社会としての江戸時代。なぜ個性が際立つ思想家たちの繚乱が実現したのか。その答えに迫ります。
辻本雅史『江戸の学びと思想家たち』
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一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
由利案ではこの条文は第一条に置かれ最重視されていた。由利は後の著書「英雄観」で「庶民をして各志を遂げ人心をして倦まざらしむべしとは、治国の要道であって、古今東西の善政は悉くこの一言に帰着するのである。みよ、立憲政じゃというても、あるいは名君の仁政じゃといっても、要はこれに他ならぬのである。」と述べている。
この条文は、もともとの由利の意図では庶民の社会生活の充足をうたったものであったが、福岡が政治の意味を込めて「官武一途」の語を挿入したため、条文の主旨が不明瞭になったことが指摘されている(稲田正次)。
幕末には人材が輩出したのに、現在の日本が指導者に恵まれぬのは何故か、という趣旨の設問がある。答えは簡単明瞭だ。幕末に指導的人材が輩出したのは江戸期に育てたからで、その後、人材が払底したのは明治以降、指導者を育てなかったからである。
各藩は、赤字体質が定着する元禄以降、藩校を創設して人材育成にかかる。その教育理念は王道政治であった。藩財政の黒字化を優先すると、苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)に悩む民が離反する。行き着いた先が、下々も潤う政策を採れば、民衆は喜んで働くから藩財政も潤うという、王道政治の実施であった。そのためには、王道政治を率いる指導者の養成が不可欠だったのである。
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